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レース前のお休みです。午前は自転車のメンテナンス+掃除。午後は仕事。
以下独り言。
この頃、自分はファンタジーが好きだなあ、と感じました。
「ファンタジー」の定義はwikipediaだと「魔法やその他の超自然的・幻想的・空想的な事物をプロット・主題・設定などの主要な要素とした作品が属するジャンル」。ファンタジーと聞いて思い浮かぶのは中世ヨーロッパ的な剣と魔法の世界。指輪物語などが元祖として有名ですね。
実際に中学校のころはいわゆるライトノベルばかり読んでいました。さらにさかのぼれば小学校の高学年のときにはアイザック・アシモフやロバート・A・シュタインなどのSF(サイエンスフィクション)中心。「空想的」という言葉をあてはめればサイエンスファンタジーとも言えるかもしれません。
さて、大学生になって司馬遼太郎にハマり、暇つぶしの読み物は歴史物に移行。幕末、戦国時代、清少納言などなど。大学時代から読んでいる活字の8割以上は歴史物の本のものといっても過言ではないでしょう。
もうライトノベルファンタジーは卒業か、と思っていましたがなんのなんの。
よくよく考えたら歴史は現代に生きる僕たちにとっては十二分に「ファンタジー」ということに最近気が付きました。
ちょんまげでスカートみたいな服を着て、2本の刀を差して草鞋で闊歩する。日本中の農村では泥沼の中に稲をそだて、夜にはお米から作った日本酒をお猪口でクイっ。そんな世界は全く「今」とは別物。しかも日本は島国で鎖国などをしていたため、幕末までは外国からの影響から隔絶した、ある意味1つの世界。1つの地球と言いかえることができるかもしれません。ハラキリ、ジュージュツではありませんが、日本特有の文化が育ったのもその所為でしょう。もちろん日本の気候や風土も関係していると思います。
まあ要するに自分は空想的な世界を夢想することが好きなようです。
そして歴史と純ファンタジーの違いはそれが歴史であったか否かという点。
歴史は実際に僕たちの祖先が歩いてきた道であり、(見てきたわけではありませんが)実際にそれが現実に起こった記録です。そしてそれらは見えにくいものではありますが、かなり大きな影響を僕たちに与えているはずです。例えば自転車で峠を登りますが、その道がどこに通じて何を運ぶためになぜここをとおっているか、という結果が今自分が登っている道筋になっているわけでして。たとえとしては少し強引ですが、いろいろな意思が混ぜ合わさって現在という結果があるのではないかなあと思うわけです。

▲下田。初代駐日公使ハリスの玉泉寺。
逆に、その昔の人の「意思」を学ぶ、知ることによって現在の結果の裏付けを知ることができることがあります。そういうときパズルがパチっとはまるような、そんな面白さ、快感があります。
今はこれまで結果の集積でできていて、ほかならぬ自分もその一部。自分のできている成分の一部を知る、そんな面白さが歴史にはあると感じます。
小難しいことばっかりしゃべりましたが、ファンタジーはおもろい!
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