Shun's Weather Report

Cycle Road race and etc...

2004年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年10月

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28日目-「外国」旅行

 北海道は外国だ。そう言う人が結構いる。確かに大東京と北海道の田舎を比べたら、外国といっても差支えが無いだろう。また、自分にとっても、旅が終わるのは北海道に帰るまでだと思う。というわけでもう少し。

 飛行機の中でほとんど眠れなかったはずだが、6時間ほどで起きてしまった。時差ぼけだろうか?朝は日本の朝食だ。小あじ、小魚、納豆、キムチと漬物のタッパー沢山。やばい、ご飯が進みすぎる。「2合半ほど食べたようだ。腹いっぱい。」そりゃあそうだ。

 埼玉まで行き、ボート部の新人戦をほんのちょっとだけ応援し、目黒の親戚の家に挨拶し、羽田へ。東京を歩いていて感じたのが、「いらっしゃいませ」の不自然さだ。

 イタリアの挨拶は「Ciao.」だ。こんにちは、の軽い感じだろう。ちなみに「Ciao Ciao.」と繰り返すとバイバイ、という意味になる。お店に入ると必ず「Ciao」と言ってくれる。これが何とも好きだった。初めのころは、なれなれしいようで戸惑っていたが、そのうち慣れてきて自分で「Ciao」といいながらお店に入っていくようになった。その挨拶ひとつするだけで、店員さんとの距離が縮まるような気がしたのだ。

 しかし、東京でお店にはいると、壊れたテープレコーダのように繰り返される(言い過ぎか?)「いらっしゃいませ。」ひどい時は声さえかけてくれない。何も言われないと、入っていいのかさえ戸惑ってしまう。もちろん日本には敬語という言語の文化があるから「いらっしゃいませ」という言葉自体については否定する気は無いが、イタリアの「Ciao」との大きな違いは、それを目も合わさず言う文化になってしまっている点。ちょっとこれはねえ。

 それから街中にチェーン店だらけなのに驚いた。ど真ん中だと個人経営は皆無(少なくとも見えるところには)。いいのだろうか?たしかにチェーン店ってどこに行っても同じものが同じだけ同じ値段で食べられるという利点も在る。しかし、不自然だと思う。どこかで破綻する気がするのは俺だけだろうか?

 じゃあ、もうひとつ。これはいいことでもある。羽田に行く途中で京浜急行に乗ったのだが、駅の電光掲示板に表示されている2つの電車の発車時刻が1分の差しかない。だ、大丈夫なのか?60秒前に電車が入ってきて、客が乗降りして、出発してすぐに電車が入ってきたら追突するよ。

 そう、思ってみていたが、1つ目の電車がきっちり時刻どおりにホームに滑り込み、すぐに発車。次の電車もしっかりと60秒後の刻限どおり。す、すげえ。ってかこれまで5分10分の遅れは当たり前だった国から来たのでこれは異常にも見えてしまう。国民性の違いかなあ。

 ある意味2回目の外国旅行を楽しみながら待ちを抜け、羽田。毛布を借りて眠りこける。気付くと飛行機の窓から千歳の夜景が見えていた。日記の最後に「日本の夜景は青白い。イタリアは橙々ばっかだったが」と、ある。「橙々」と書いたら読みは「ダイダイダイダイ」になってしまう。漢字の能力も低下してしまったらしい。「快速エアポートで札幌へ」行き、旅は終わった。
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| Italia旅行記 | 11:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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27日目-帰国

 10時30分、羽田に着陸。今まで周りにヨーロッパ人だらけだったので、逆に外国に来たみたいだ。日本っぽさ、というよりも、東洋を感じてしまう。そんなか厳重なチェックをこなしてゲートアウト。やっぱりこういうところは日本はしっかりしている。

 成田からは田舎の風景をぬける。里山のような感じだろうか。やっぱり落ち着くなぁ、と思う暇も無く、大東京のど真ん中へ。なぜか上野まで行ってしまい、新宿を経由して小田急で藤沢まで。婆ちゃん家到着。久しぶりの湯船に使ってから夕ご飯。もちろん和食だ。気を使ってくれて、お寿司を頼んでくれたが、印象に残っているのは冷蔵庫にずらりと並んだ漬物のタッパー。きゅうりとナスのビール漬け、らっきょ、梅干、ヒジキ、小魚の佃煮などなど。やっぱご飯がうまい~。ピッツァも美味しかったけどやっぱ俺は日本人だと再確認した。

 それにしても。日本語が口から出てこない。1ヶ月間ほぼ英語とほんのちょびっとのイタリア語で話していたわけで、頭がそっちに傾いてしまっている、そんな感じ。何か話そうとするときはちょっと考えて言葉を選んでからでないとうまく日本語を話しだせない。とても不思議な感覚だった。

 夕ご飯が終わり、急激に眠くなってきた。やはり疲れていたのだろう。布団にもぐりこんだ瞬間に眠りに落ちていった。

| Italia旅行記 | 11:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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26日目-さらばイタリア!

 荷物をまとめ、朝食のシリアルをガッツリ食べて出発。駅に行く前に土産物屋をさがす。朝8時という早い時間にもかかわらず駅前の広場の露天がやっていた。さすが観光立国だ。イタリア語の教科書を貸してくれた寮の友達にコロッセオの柄のTシャツを購入。

 またもや5分遅れ(始発駅なのに・・・)で出発したレオナルド・ダ・ヴィンチ・エクスプレスに乗って空港へ。日本から到着したときは夜だったのもあって閑散としていた空港だが、今回はさすがに真昼間ということで人人人・・・。飛行機会社も結構たくさん発着しているようだった。

 50分も並ばされ、マネーベルトに入れっぱなしでぐにゃぐにゃになってしまっていた航空券でチェックイン。空港の中で最後のイタリアのメシ。空港内ということで期待はしていなかったのだが、ピッツァは焦げ目が着くぐらいしっかり焼いてあって美味しかったが、ジェラートはいまひとつ。財布の中に小銭があまっていたので、チョコレートを買ってお金を使い、11ユーロとセントコインだけを残すことにした。

 飛行機は今回も少し小さめ。2つ右の席にいた中年のカップルがお酒を上機嫌に飲みまくり。2人でジンを1本一気に空けていた。すげえ。窓際の席でローマに別れを告げた。

 ランドオフが30分ほど遅れたようで、到着も同じくらいの遅れ。結構トランジットの時間が少ない。しかも来たときと同じく人ごみをかき分けていかねばならんのかと思った。しかし、今回はゲート待ちの集団はおらず。しかし時間通りゲートに着たのに、あかない。待つ。待つ・・・。「ロシアでも出発を遅らせるのが流行っているのか?」20分ほど遅れて出発。

 モスクワから羽田までのフライトは最悪だった。隣の日本人が「とても気に入らない表情」で、かつ体臭(だと思う)が臭い。そして時差ぼけだろうか?全く寝ることができなかった。神経が高ぶっているような感じでうつらうつらすることさえないのだ。20時間にわたる飛行中ほとんど一睡もできず。備え付けのテレビでブラッドピット主演の「トロイ」を見たが、気休めにもならないぐらいつまらなかった。

 もうすぐ、日本。

| Italia旅行記 | 10:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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24日目-南へ。

 6時半起き。ダッシュで飯を食べて7時半の列車に乗ろうとしたが、あれ?ないぞ。時刻表を見返すと、注意書きで「8月中旬のみ運行」みたいな事がこじんまりと書いてあった。やられたー!

 ちょっと(5ユーロ)奮発して10時20分の特急列車に乗る。ローマを離れるとすぐに田舎の景色。イタリアは日本と同じく、南北に長い形のため、北と南では街や人の性格が違うらしい。旅行者にとって重要なのは安全面。ローマ以北は比較的お金持ちで治安がいいが、シチリア島などを含むナポリ以南はちょっと治安が悪いらしい。それからローマのピッツァは薄くてパリパリ、ナポリのピッツァはパンみたいでもちもち。

 10時40分着。駅前の店でナポリ名物(なのか?)スフォリアテッレというリコッタチーズの入ったお菓子を購入。結構人気のお店らしく、お客さんが結構いた。お菓子のほうは、ガイドブックによると「ほんのり甘い」、とあったが、激しく甘い。喉がやけるほど甘い。どういう味覚してるんだ?

 ナポリの街は車とそのクラクションと人人人・・・。怪しげな露天もたくさん。整理整頓具合がすくない、というのか、こういっては何だが、ちょっとスラムっぽい。もっとも「スラム」なんて見たことも無いが。

 サルアトーレと待ち合わせの大聖堂へ向かう。駅を離れると人形などの細工屋・小物屋が軒を連ねている。実は今日は彼の誕生日で、Barで源氏パイみたいな心臓型をしたパイを購入し、細工屋で花の形をしたロウソクを購入。大聖堂前でハッピーバースデイを歌ってあげて、ロウソクを吹き消してもらった。でも今考えると、サルアトーレは英語が話せないから、英語の歌を歌ってもわからなかったかもしれない。

 聖遺物が安置してある大聖堂を少しのぞく。聖遺物には信者が群がっていたが、自分はあまり興味なし。建物自体も結構きれい。奥正面の祭壇のうえにある女神像かなんかがとてもきれい。ステンドグラスから差し込む黄色い光も神々しい。

 そこから卵城「Castel dell'Ovo」を目指して歩く。サルアトーレもやはり、ナポリは北部と比べると汚い印象をもったらしい。ベルギーは夏涼しく、冬は暖かい(10℃~25℃)らしい。いいなー。そんな他愛も無い話をしながら3、4km。もちろん大部分はジェスチャーと筆談。

 卵城自体は期待していたわりには、ただの黄色っぽい石造りの大きな建物という感じ。やはり花より団子だ。丁度おなかも減ってきたのでピッツェリアをさがす。すでに15時だったので良いところが見つからず、ちょっと高そうなリストランテへ。周りは「襟のたった(=フォーマルな格好をした)」人ばかり。ちょっと浮いてました。ハイ。

 もちろん頼むのはピッツァ。オリーブ、バジル、トマト、緑の葉っぱ(?)。サルアトーレはチーズ、肉、ブロッコリーのピッツァ。赤ワインを飲みながらかなり待つ。ヨーロッパではガス入りの水日常的に飲まれている。自分はあの苦い感触が好きになれなかったので外食のときはナチュラーレ(ガス抜き)を注文していた。しかし、サルアトーレに言わせるとこの店で出たガス入りの水でも、炭酸は少ないぐらい、とのことだった。味覚がちがうのだろうか?

 店を出たときに看板をみると、意匠をこらしたマーク見たいのが付けてあった。ナポリではきちんとしたレベルのあるピッツァの店に認定を授ける認可組織があるそうだ。そのマーク自体がどのようなものかは知らないが、多分そういう認可を受けたお店だったのではないだろうか。基地にしっかりとした歯ごたえがあり、食い応えがって本当に美味しかった。こんなピッツァがあるならもっと早くこればよかった。ワインと食後のグラッパ(甘い香りのする焼酎みたい)でほろ酔い気味。

20040926サルアトーレ▲サルアトーレ。実際はもうちょっと目が小さい感じかな。天パの金髪。「Chi chi」と舌を鳴らす。いいね、って意味だと思う。

  そこから少しあるき、公園のど真ん中に立っていたヨーロッパ最古の水族館へ。建物自体はそれほど大きなものではなく、古さを感じさせるのは赤茶けたレンガと水槽の水漏れだけだったが、久しぶりの魚は結構面白い。ウツボがピッツァを欲しがっている、とか冗談を言いつつ、ぐるり。


 海岸線をゆっくり歩きながら戻る。噴水をみたり、山を見たり、釣り人を見たり。そこからゆっくり駅に向かう・・・ゆっくりしすぎた。途中で揚げ物屋を探していたりしたのもあり、乗ろうと思っていた19時半の列車に乗り遅れてしまった。次は終電の20時40分。

 駅に向かって急いでいるときに印象的な出来事が二つあった。

 ナポリでは高校生か、中学生かというぐらいの年齢でもバイクで走っている。しかもノーヘル。まあ、そこまでならギリギリ許せる。しかし、ある交差点で止まっていた車に後ろから来たノーヘルの中坊(しかも2人乗!)が突っ込んだ!事故、ってほどでもなくてぶつかった程度で怪我をするとか言うレベルではなかったが、車の方の後ろはへっこんだだろう。車の窓からはタバコをくわえた兄ちゃんが顔を出した。

 日本だったら、「このガキィ、何さらすねん!」って感じで車の方が怒って、警察呼んで、すみませんって謝って、保険会社に電話して、修理代払って、ってなるんだけど。タバコ兄貴は後ろをみて「なんだバイクがぶつかっただけか。」何事も無かったかのように窓を閉め、車を発進させ、いってしまった。唖然。やはりイタリアではバンパーはへこませるためにあるらしい。

 2つ目。かなり焦ってナポリの町を走りぬけていたとき。

パーン、パーンパーン

 乾いた音がこだました。きいたこと無い音だ。もしかして、銃?!確証はないが、そんな感じ。サルアトーレを振り返ると同じく驚いた表情。冗談きついねー、と2人して苦笑いした。

 さて、あと1時間ある。2人でハイネケン片手に、ガリバルディ広場をはさんで駅と反対側の交差点のあたりにあったキリスト教の塔の下で「乾杯」。ビールはあまりうまくなかったがベルギーのお祭りのことなんかを聞いたりして面白かった。ただしまわりは相変わらず喧騒。ビール瓶が転がっているわ、野良犬がフラフラしてたり、クラクションなり放題だったりと、なかなか物騒な雰囲気。

 そんな感じで楽しくおしゃべりしていたわけだが、気付いたら8時32分。や、やばっ。駅に向かってダッシュ。駅前広場といっても駅は800mほど彼方。ホームがわからず少し(かなり)焦った。結局のところ発車が遅れて大丈夫だったが、この終電を逃していたら、どうなっていたのだろう。朝一の列車でローマに帰っても日本に帰る飛行機に乗れなかったかもしれない。日記では「ふう危ねえ」としか書いていないが、ある意味旅行中一番危なかった瞬間だった。

 サルアトーレとがっちり握手。「言葉は通じなかったが、気持ちいいやつだった。」

 ローマには23時過ぎ到着。ノーマルコーラを買おうとしてライトを買ってしまった。ライト苦手なんだけどな。ピッツァもつまみ食い。明日はイタリア最後の日。

| Italia旅行記 | 08:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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23日目-世界最小の国

 朝ごはんに出てきた変な果物(イチジク)を食べて、桃に似たペスカという果物を食べながらレンタサイクル屋のマッシモに電話。しかしつながらない。どうしよう、自転車帰さないと動けないぞ。しょうがないので宿をチェックアウトし、お店のある駅前まで行ってみることにした。どの道駅に行くんだし。

 今日はすべての荷物を背負っているし、おしりがマックスで痛い。こけたら昨日購入した豚皿もおじゃんだ。こえー。下り4km+平坦5kmで駅前に付き、もう一度電話したらつながり、15分ほどで来るという。パン屋とBarでぶらぶらしつつ時間をつぶした。マッシモはやっぱり「ア・ローラ」連発。無意識で出ちゃうんだろうなあ。落車したおかげで自転車のリムが振れてしまったことも伝えたが、構わない、とのこと。最後まで親切なマッシモだった。でも自転車の整備はしといてね。

 またも15分ほど遅れてやってきた電車に乗り、2時間15分ほどの列車のたびをして、ローマに到着。イタリア旅行の1日目にも宿泊したユースホステルにチェックインして荷物を預け、街へ。今日の目的地はバチカン。フィレンツェで会った日本人にオススメされたのだ。バチカンに行く行程でいろいろ見ながら行くことにする。

 まずはバルバーニ広場の「蜂の噴水」と「トリトーネの噴水」。ガイドブックに書いてあったので、軽く見るつもりで行ったのだが、実はこの「蜂の噴水」、なんと2日目にローマを歩いたときに、最初に水を汲んだ噴水だったのだ!確かに蜂の像が彫られているが、何気なさ過ぎてそんな名前のある噴水だとは思わなかったな。トリトーネのほうは「ふーん、って感じ」。

 次に行ったのは有名な「トレヴィの泉」。地図を頼りに歩いていたら、町の中にいきなり現れて驚いた。よく晴れた青空にドデカイ噴水の白がよく映えていた。それにしても、観光客が多い・・・。スペイン階段とは比較にならないぐらい。「シャボン玉を出しているおもちゃ屋がうざい。」なんかゴミゴミしていて落ち着かなかった思い出ばっかりだ。

 教会をひとつ覗いて、パンテオンへ。ちょっとギリシャの神殿に似ている、平べったい三角形の屋根と太い柱を持った石造りの神殿だ。これがまた、超ド級にデカイ!柱は滅茶苦茶太いし、天井が高くて見上げてしまう。内部の宗教的な祭壇なんかには興味がわかなかったが、石造りの建物(建物と呼べないぐらいの大きさだが・・・)の迫力と美しさを堪能。古代の人たちもこういう空間で圧倒されて神を崇めたのだろうか。

 ちなみに周囲は小さめのレストランやホテルなどが民家に囲まれている。どこぞやの国のようにお土産屋が乱立して毒々しいのぼりがたっているようなことは無くて、非常に落ち着いており、街とパンテオンが一緒になって風景を作り上げているようで、良い。

 ジェラートをつっつきつつバチカンに向かう。かなり遠くからでもわかるほどにデカイ!ひたすらにデカイ!どのくらいかっていうと、下手したら東京ドーム(見たこと無いけど)?!ってぐらい。これでひとつの神殿だっていうのだから驚きだ。

 イタリアから橋を渡ってバチカン市国に入国。といっても有刺鉄線で囲まれているわけでもなく、関所があるわけでもない。こんなもんなのか?日本だと外国に行くってーと海という大きな境目を越えないといけないから、これは不思議な感覚だよね。バチカン市国が特殊ってのもひとつあるけど。

 しかし、トイレに行きたくなってしまったので、違う橋を渡ってイタリア本土(?)へ。その橋のもとにあったBarへ。そこで頼んだ、ココアをふってもらったカップチーノの旨いこと!感激してしまった。コーヒーで感激したのは後にも先にもこの時だけだ。

 気を取り直し、バチカン市国に再入国。国、といってもあるのはカトリックの総本山の神殿やら博物館やら宗教的なその他もろもろ。観光客でごった返している郵便局もあったな。

 それにしても。パンテオンがかすんでさえ見える。サンピエトロ大聖堂へ続く道の両脇には巨大な柱が立ち並び、訪問者を圧倒している。そして大聖堂の前の円形の広場(半径80mぐらい?)は20mほどありそうな柱が周りを取り囲み、その上では天使などの像がいくつか広場を見下ろしている。すさまじくでかい・・・。東京の近代建築だったら驚かないかもしれないが、中世の建物でこの大きさって。

 ゲートを通り、大聖堂に入場。この前に少し雨に降られていたのだが、入った途端そんなことは忘れてしまった。スゴイ。サイズが半端ないのもあるが、そのすべてが洗練された美しさを持っている、というのか。床は白、黒、灰、黄、赤、紫などの色とりどりの石が組み合わされており、雰囲気がとても良い。たしかミケランジェロのデザインだと書いてあった。外観と同じく、内部も圧倒されるような大きさを持ち、いたるところにカトリックの祠やら、聖人の像やら、宗教画が掲げられている。

 そのほとんどは忘れてしまったのだが、ひとつだけ覚えている。システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロのピエタだ。マリアがキリストを抱いている像ね。ほんと言うと、これの印象が強すぎて、他の絵などが記憶に残らなかったのだと思う。それほど、ピエタは美しかった。もちろん子供の頃に読んだ百科事典などでミケランジェロのピエタの写真を見、それが有名だということも知っていた。しかし、その時は特別に何かを感じることは無かった。

 しかし、ピエタを目にして、動けなくなった。日記には「静かな美しさ」、とある。ずうっと見ていたが全く飽きるということが無い。他の絵や像と何がどうちがうといわれるとわからない。しかし、大聖堂を回るうちに、何度もピエタの前に戻ってきてしまった。うーん説明しづらい。一度見たらわかると思うんだけど。俺の日本語じゃあアレは語りきれない。

 帰り際にさっきのBarへ。そしたら顔を覚えていたらしく、「カップチーノ?」と聞かれたので、「Si, con cioccolata」(ええ、ココア付きで)。今回は少しぬるかったが、やっぱり美味しかった。そこからもうひとつジェス教会へ。2Dと3Dをうまく利用して作られた落ちてきそうな天井が美しかった。

 もう旅行の日が少ないということでユーロを使い切るべく、食べたい物を我慢しないで食いまくっていたのだが、今日も16時ぐらいにピザを1枚。しかもかなり大きめ。夕ご飯は20:30ごろ。メニューを見てたのんだが、腹と相談するのをケロッと忘れていた。パスタの時点で腹8分目。その後に出てきたこの店の「売り」であるサラダはどんぶりにドカ盛り。酢の量が足りない気味で少し食べずらい。それでもお残しだけは絶対にやらん!「かなり腹きつい」。あまりのきつさにユースホステルへの帰途で休んでしまったほど。

 21時ごろ帰宅し、お金の計算をしてみたら、今日1日だけで140ユーロ(2万円弱)も使っていた!明日はナポリ。サルアトーレと待ち合わせだ。

| Italia旅行記 | 09:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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22日目-この道を行けば・・・

 8時起床。今日の朝食には「あの果物」(=イチジク)が出なかった。不気味だが、無いと寂しい、っていうか結構うまいんだよな。

 MTBにまたがって出発。このときはレーパンなんて物の存在自体を知らなかったし、そんなものを持ってくるはずも無く、おしりが痛い。昨日の最後に比べたらマシだが、MTBだしなあ。距離がありすぎて行けはしないと思うけど、とりあえず今日はSienaを目指す。

 Castelino Enoというところまで走って行くが、道は平らだし、工場と畑しかなく、つまらない道だ。6kmかそれよりもっと走って、Monte S.S.という町の辺りでちょっと山っぽくなってきた。街中に立ち寄り、ラッテ・マッキアート(牛乳多目のカプチーノ)とリンゴ2つを補給してPallazuoloの峠を登り始める。

 昨日フランス人に聞いたところによるとCortonaに登る道よりHardだといっていたが、たいしたことは無い。勾配がゆるくて、緩斜面っていうぐらい。ただ長いだけ?後半は見てないのでわからないが。でもやっぱりどう考えてもSienaには着くことはできなさそう(あたりまえだ!片道90kmだぞ)だったので、途中で見かけた「Gorgonza」という青看板に書かれた地名に魅かれて横道へ。ゴルゴンゾーラチーズと関係があるのかと思ったが、全く関係ないらしい。

 町は山の中にある、村という表現の方が正しいように感じられる。石畳に覆われ、市街地は昔ながらの有機的なつくりの路地がそのまま残っていた。日記には「住所が30までしかないようで」とある。なんか案内板でもあったのかな?「なにかの会議か何かがあるらしく、」(こんな山中で?)スーツを着た人が結構居た。それと「小さくて黒っぽい犬」。サラミを分けてやって、一緒にお昼ご飯。

 すぐに村を回ってしまったのでここから折り返して戻ることにした。途中で車の中から、フランス人の女の子×2にAlezzoはどっちか聞かれた。自転車に乗っていたから地理を知っていると思ったのだろう。しかし、それは勘違いというもので、Alezzoの方向さえ良くわからない。英語で、まっすぐ行ってもSienaだけですよ、と教えてあげたのだが、そのまままっすぐ行ってしまった。大丈夫だったのだろうか?

 途中でお昼ご飯の残りをパクつきながらCortonaへ。今回のヒルクライムは違う方向からチャレンジしたが、標高差は変わらないわけで。やっぱし極い・・・。

 えーっと、実はこの日の話で無いかもしれないのだが、確かこの日のどっかだったと思う。もしかしたら昨日の話かもしれない。日記に何故こんな重要なニュースを書いていないのか疑問だが。

 実はMTBで走っているときに一度パンクした。場所は忘れた。土ぼこりが舞っている風景だった。マジかよー。

 一応対応策ということで、パンク修理用の注入財とボンベ(空気を入れるための)がセットになった物を渡されていたので、これを試すが、全然駄目。空気が入った感触はあったが、タイヤが全然膨らまない。どうすんだよー。こんな遠くで。レンタサイクル屋のマッシモを呼ぶことも考えたが、とりあえずは少し動いてみることにした。自転車屋が無いかなあ。MTBなので頑張れば乗ることもできる。激遅だが。

 少し移動すると、自動車屋があった。しかし、空気入れがあってもパンク修理できなきゃ意味ない。そうも思ったが、これ以上動いても埒が明きそうも無かったので、自動車屋に入っていった。中では3人ほどの男が作業中。いきなり入ってきた東洋人に驚いただろう。くすんだつなぎのお兄ちゃんに、身振り手振りと「バースト」という英語でパンクを説明したら、わかった、わかった、という。そして空気入れを手に取った。

 いや、だから、パンクしてるから空気入れても意味ないですから、なーんて説明できるはずも無い。必死に説明しようとする俺を制して空気を入れた。すると、すると。なんとちゃんと空気が入ったではありませんか!何でだ?すこししたら空気が抜けるのかもしれないとも思ったが、結局自転車を返却するまでしっかりしたままだった。そのときは何故パンクが直ったのか、不思議で不思議でならなかった。

 今考えると、自分でパンク修理キットを試したときに補修剤はタイヤに入ったんじゃないかと思う。しかし、ボンベの空気が入りきらず、タイヤはつぶれたまんま。それで自動車屋で空気を入れてタイヤ復活!となったんじゃなかろうか。でも実際のところはわからない。とりあえず自動車屋のお兄ちゃんたちに大感謝!

 そんな自転車の旅をしながら、最後の坂をヒルクライムしてCortonaに戻ってきたが、丘の上から下界を振り返ると、湖の方が暗い。そういえば今日は夜雨が降るとか行っていたっけ。途中でよったスーパーでアプリコットジュースをかったが、激甘。しかも窓際に置いといたのだが、気付いたら下に落ちていた。どうなったんだろう。それからイタリアなのに三毛猫がいた。

 シャワーを浴びてから町をぶらぶら。足の赴くままに歩いていたら、おととい行ったSan Margerita教会の方に向かっていたので、もう一度見たくなり、また坂を登っていった。いや、この町は坂を上らないとどこにも行けないのだが・・・。

 教会に入り、10セントを払って英語のパンフレットを読んでいると、神父が3人、十字架の前でお祈りを始めた。よく通る朗々とした声が静かな教会の中に反響し、無心論者でも圧倒されるような、おごそかでな雰囲気。10分ぐらいのお祈りが終わると、今度は尼さんが4人入場。1人はギターを持っていて、その伴奏に合わせて聖歌を歌い始めた。ギターと聖歌という組み合わせが面白かったが、きれいなきれいな歌声が石造りの建物全体に染み渡っていくのは、本当に美しかった。

 その後、赤やら黄色の結構派手な衣装を着た大神父とおぼしき人が入場。~~に感謝します、とか、互いに祝福を、とか、パンとワインを飲んだり。儀式だろう。ライトアップもしっかりとされていた。

 実は途中から一般のお客さんが増えてきていて、どうもその手のイベントの日だったようだ。あまりに美しすぎたのでもっと見ていたかったが、信心からこの儀式を見にきている人のことを考えると、観光という目的でここに居るのが失礼な用な気がしてきて、途中で退席した。

 雨が少し降っている中を下り、街中へ。おととい歩いたときにサラミを買った肉屋で、ある皿を見つけた。楕円形のお皿で、横を向いたモノトーンで少しコミカルな豚が書いてあるのだ。紹介文には近所のデザイナーが作りました、というようなことが書かれていた。これを見た瞬間からなぜか忘れられなくなった。お土産には最高じゃないか?ってか俺が欲しいぐらいだ。しかし、40ユーロ(5500円ぐらい?)は高い。うーん、どうしよう。

 というわけで一昨日は買わなかったのだが、やっぱり気になってしまったので、買ってしまった。ついでに同じデザインのコップも購入。割れたら洒落にならんので、新聞を買い、厳重にくるみ、鞄にしまった。それにしても、なんで肉屋にあんな皿が売っているんだ・・・。今となってはもう、わからない。いい買い物だった。ちなみに豚皿は今は実家のテーブルに時々出されている(はず)。

 夜ご飯は昨日と同じトラットリア。エッグヌードルと、レモンか何かで煮込んだveal(水牛?)の肉と、デザートにパンナコッタ。日記によると「味付け最高!」旅行中で一番いいトラットリアだったな。一番美味しかった食べ物は青空の下で食べたパン&チーズ&ハムだけどね。

 ジェラート屋が雨のせいで(?)しまっていたので、切り売りのピーマンピザを1枚突っついて1日終了。 

| Italia旅行記 | 20:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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21日目-クラッシュ!

 朝飯はパン2枚、牛乳、チョコレートミルク、へんな果物(=イチジク)。8時半に出発。長袖を着ていたが、やはり朝方は冷え込む。霧がかなり出ていて、今日の目的地、イタリアで4番目に大きいトラジメーノ湖もかすんで見えない。Cortonaの丘を下ればすぐに湖に出た。ここから湖に沿って南下。1周50kmっていうから1周するつもり満々でペダルを踏んでいった。

 それにしても。自転車が重い。それでよくよく見てみたらブレーキのセッティングが悪くて、前後ともブレーキが当たりっぱなしになっているじゃあーりませんか。どうりで全然進まないわけだ。マッシモちゃんとメンテナンスしてなかったな。アーミーナイフを使ってどうにか調節できたようで、この辺から自転車が「快適(日記では快的って書いてる)とはいわないものの、走り始める。」

 湖沿いはやっぱり平坦。気持ちいいスピードでずうっと走り続ける。車は少ないし、道も狭くは無いぐらい。天気もいいし。ただし道が湖から少し離れたところを走っていたので、トラメジーノ湖はよく見えなかった。湖の南端に12時ごろ着。パン、ハム、チーズの黄金トリオで昼食。

 ここからは湖から離れ、更に南にあるPanicaleという街を見に行くことにした。調べるとちょっとした丘の上にある感じだったので気軽に行くつもりだったが。どこが「ちょっとした丘」だ!「なまら急な坂を登らないといけない」Le maleという小さな村を経由し、更にPanicaleまではまた登り。ギアはインナー入りっぱなし。でも引き返すようなことは意地でもしない性分なので。到着!

 っていっても。町の様子は覚えてない。日記には「ちょっとした観光地のようでブルジョアっぽい人がちょいちょいいた。」ジェラートと持ってきたパンを食べ、教会を覗いてから、戻ることにした。くだりは楽しい。

 相変わらず景色はToscana!(実はUmbria州)って感じの丘陵と畑が広がっていてとってもいい景色。そんな景色を見ているうちにずいぶんと大きな木が並木を作っているのが見えた。おし、行ってみるか。

 しかし、並木を見ながら走っていた所為だろう。左右にフェンスがある細い道に入ったとき、少し右に寄りすぎたのに気がつかなかった。

 ガガガッ!

 ハンドルの端を持っていた右手の小指がフェンスにこすれ。
 ハンドルが右に切れ。
 前輪がフェンスに衝突。
 自転車は停止。
 俺は前方宙返り。
 1回転。

 いっっってててえええ!左肩が結構大きな擦過傷。それよりも右手の小指が内出血しているようで動かすのも億劫なぐらい。自転車のタイヤもゆがんでしまった。ついてねえ。っていうか不注意か。

 右手は痛いが、好奇心は猫をも殺す。とりあえず並木まで行き、自転車と並木道の写真をとり、湖へ。もうケツが痛いし、1周するのはあきらめて帰ることにした。さすがにこんな状態でフラフラしたくない。

 湖沿いを北上し、「ひどい坂」を登ってCortonaにやっと到着。同室になったフランス人のおっさんサイクリストに工具を借りてブレーキ調整。それから街を散策しながらみやげ物なんかを物色し、夕ご飯にトラットリアへ。こじんまりとした店だが、雰囲気はいい。地元の人も結構居るみただ。パンを煮込んだリボリッター、豆、そしてウサギ肉!もちろん初めて食べた。「鶏肉のワイルド風味な感じ」だそうです。疲れていたおかげで、ワインが回る回る。でもいい食事だった。ちなみに食前、食後にジェラート。だって美味しいんだもん~。

 寝る前に先のフランスサイクリストにSienaという町に行く道を尋ねたら地図を引っ張り出して教えてくれた。往復180kmで峠2つ。今(2008年)なら行けるかもしれないけど、この時はさすがに無理でしょってなった。途中のPallazuoloの登り下りは景色はいいが、めちゃめちゃつらい、といっていた。彼の表現を借りるなら、「Beautiful is hard」だそうで。なかなか名言だと思いませんか?

 それから(もしかしたら違う人の話かもしれないが)このフランス人のおっさんと話をしてたら、彼は日本に行ったことがあるらしい。しかも卓球のジュニアの遠征(=国際試合?)で行ったとか。実は結構すごいんじゃ?まあ、それは置いておいて「日本で一番印象に残った物は何?」という質問をしてみた。するとほぼ即答で「温泉」。

 日本人にとっては銭湯も含めて「みんなでゆっくりとお湯につかる」という習慣があるが、ヨーロッパではこういうのがなくて、日本に行って見てびっくりしたとか。更にきいたら、やはりヨーロッパには温泉はほとんど無いらしい。少なくとも日本みたいに整備はされていないみたい。温泉を知らないとは。日本人に生まれてよかったわー。

 さて、明日はどこ行こうかな。

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20日目-Cortonaへ

 7時過ぎに起床したが、キッチンが開くのが7時半。30分間八百屋を探しながら散歩したが、さすがに開店前だ。ハム、ズッキーニ、トマトと「なんかの葉っぱ」を入れたパスタ。味付けはキッチンにあった塩とオリーブオイル。賞味期限大丈夫か?多めに作り、サルアトーレと一緒に朝ごはん。数日後にナポリに行ったときに一緒に街を回ることになった。「腐れ縁だな、ここまでくると。」

 少し空いた時間を利用して銀行に言ってトラベラーズチェックを換金。50ユーロだけだったのに、前回300ユーロを換金したのと同じ額だけ手数料を取られてしまった。パーセントではなく、定額制なのね。ガーン。

 チケット売り場に並んだが、前に居た黒人夫婦が長いの何の。なんで切符1枚に20分もかかるんだ?結構本数が少ない路線だったので、焦ってしまった。乗れなかったら1時間待ちだ。旅に来て待つのはちょっとやだ。しかし、杞憂。むしろ発車時間になっても電車は来ず。またかー。

 相変わらず車内放送の無い列車の窓から見える駅の看板と、手元の時刻表の駅名を見比べながら30分ほど。乗り過ごしたら面倒だかんね。10時30分過ぎにTelontra Cortona駅に到着。といっても、駅前はあまり栄えておらず、中心部に行くにはここから更にバスに乗る。しかし、なんと次のバスは2時間後の12時42分!ペルージャの朝にのんびりし過ぎたか。うまくいかないもんだねー。とほほ。

 なんか無いかと歩き回るが、住宅が少しあるだけ。駅前の公園で、小さなパン屋で買ったパンとハムを一緒に食べ、リンゴも食べる。うーん、まだまだ時間があるぞ。「ネコが虫をおっかけているのを見たりしてのんびりしていた。ぼけーーー。」

 やっと来たバスに乗ったが、終点のGalibardi広場まで乗客は俺一人。そりゃあ、バスも2時間おきにもなるわ。街には結構観光客が居たのだけれどね。どうやってここまで来たんだろう?時間の使い方の差?バスはどんどん上って行く。街は標高差200m(?)ぐらいの丘の上。昔に街を守るために高いところに作ったのかな?城壁もあったし。

 とりあえずレストラン探し(さっき食べたろうに)。ツーリストメニューを出しているところもあったが、サービス料金と席料が激高!やーめた。Paticceria(お菓子屋?)でピザとフォッカチオを買い食いしたが、さめてて硬くて美味しくなかった。

 すぐ近くの大聖堂を覗いてから、街の東にあるSan Margerita(Margelita?)教会へ。道はずっと上り。ユースホステルが開いておらず、重い荷物をしょって、だったので全身汗だく。

 しかし教会はそれだけの価値があるような美しさだった。街のはずれにあるにしては大きな建物で、石造りの床に音がよく響く。犬を連れた女の人の像と絵がきれいだなー、と思っていたら、どうもこれがMargeritaさんのようだ。中世時代の聖女かと思っていたが、「描いてある内容から察するに1900年ごろの、比較的新しい人らしい」(って日記に書いてあるけど、嘘。パンフを読み返したらやっぱり中世の人だった)。なかなか印象的(といっても2008年には絵や像のことは、コロっと忘れていたりするが、「きれいだった」のは何となしに覚えている)。

 APT(インフォメーション)で地図をもらう。2004年のこの時期にはボート部が終わり、まさか自転車競技部に入ることなんて考えてもなかったが、このCortonaでは自転車でいろいろ遠くを回ろうと計画していた。というか、自転車でもなければ1日で回りきってしまうような小さな街なのだ。ガイドブックに乗っていたレンタサイクルの店が無くなっていたので、レンタサイクルの場所を教えてもらった。しかし、なんとその場所は、今朝2時間もうろうろしていた駅前。まーたバスに乗って降りれってか!「効率悪っ!」

 今日もお決まりのジェラートをつっつきながら(やっぱり田舎のジェラートは激盛!)、とりあえず荷物を置きにユースホステルへ。受付はお兄さんとおじさんを足して2で割ったぐらいのきりっとしたイタリア男児。なぜかご機嫌で、ユースホステルの隣にあった教会を修理しているおじさん二人を紹介してくれた。「こいつらは、いわばダ・ヴィンチとミケランジェロだよ。」「へーすげー。」教会専門の修理屋なのかな?ドア周りを直しているように見えたが。謎だ。ベッドが10ある部屋に案内されたが、先客はおらず、俺1人。「流行ってないのか?」

 17時のバスで下界(=駅前)へ。レンタサイクルの店はすぐに見つかった。が、これってガレージ?って感じ。30過ぎぐらいの店主マッシモによると、本業はレンタカー屋のようだ。このマッシモ、まあまあぐらいの英語をしゃべってくれたが、「ア、ローラ」を連発する。日本語で言えば「えーと」。日本人にも居るよなあ。無意識に「えーと、えーと」って間に入れながらしゃべる奴。でも必死に英語で話している間にイタリア語の「えーと」が連発されたので、なーんかとっても面白かった。彼の「ア・ローラ」は今でも耳に残っている。

 自転車のほうは、といえば料金が激安。それはいいのだが、自転車も料金相応。ってかボロイ。整備不良。MTBだが、Fメカをミドルにするとガッチンガッチンと音がする。油も切れていて走りが重い。まあ、整備の知識はあるし、どうにかするかと思い。3日間レンタル。

 街は丘の上。ということは上らなければいけない。体力はあるが、自転車を回す力は無かったのでローギアでも一杯一杯。結構勾配もあった気がする。九十九折を汗だくになってヒルクライム。お腹をすかしてユースホステルに到着。いい運動したな。

 シャワーを浴びて、ご飯。ガイドブックでは「驚くほど美味しい」なんて書かれていたが、日記によると「おいしくはない。」痛烈だねえ。パン、サラダ、トマトパスタ、ティラミスもどき(?)と「ルッカで食べたへんな果物(=イチジク)」ユースホステルは天井が高く、壁が白く塗ってある。昔の建物を改装したようで、少し薄暗い印象だ。寝室の窓の正面には鐘楼があり、定刻になるとガランガランという音がよく響く。明日はどこ行こうかなあ。

| Italia旅行記 | 19:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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19日目-フランスの女の子って・・・

 7時過ぎに起き、パスタを作って出発。教会をいくつか回って絵を見てきたが、宗教画はやっぱりよくわかんない。ピエタ(マリアがキリストを抱いている像)もあったが、印象無し。「やっぱりミケランジェロとかの方がすごいのかな」と日記につけているが、実はその通りで後にびっくりすることになる・・・。

 ぐるぐる回ってからメインストリートへ。プリオリ館という建物へ。昔の議会場だとか。宗教画ばっかりかと思ったら、動物が旗を持っている絵がメインになっており、一味違って新鮮だ。色彩も濃い目の絵で、何となく他の建物と違う感じ。

 日本へ手紙を書き、レストランで小さなラザニアを食べた。こんなんじゃお腹一杯にならんわ。

 郵便局で手紙をだし、教会や何やらを見たが、なんかぱっとしなかったな。コンサートがあるという情報を得て、行ってみたが、ちょっと料金が高かったし、どんなコンサートなのかサッパリだったのでやめておいた。結局歩き回っただけだった。

 唯一収穫といえば、リコンファームができたことだ。いわば帰りの飛行機にのる最終確認みたいなものかな。ロシアの航空会社の電話番号がなかなかつながらなくて、っていうか電話番号が間違ってたらしい。帰る日が近づいてきたのにリコンファームができなくて少し焦っていたのだが、日本の旅行代理店にメールなどをして航空会社の事務所の電話番号を確かめてやっとできた。それにしてもロシア語英語は聞きづらい。

 宿に帰って料理して、サルアトーレの持ってきたワインとチーズをあわせて夕食。そのあと街に繰り出し、同じユースホステルに泊まっていたフランス人の女の子の2人をあわせて大聖堂の前の階段でビールを飲む。

 簡単に自己紹介を済ませた後に背の低い方の彼女が一言。

 「あなた、顔でかいわね」

・・・・・って、初対面でそれは失礼だ!比較的そういう民族なの!

 彼女も失礼だったことに気付いたらしく謝ったりしてくれた。まあ、結局それをネタにして困らせてやったりして遊んでいたんだけどね。でも開口一番でこれってちょっとなぁ・・・。

| Italia旅行記 | 17:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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18日目-3度目の・・・

 ユースホステルの朝ごはんを朝からガッツリ食べて出発!当初の予定ではコルトーナという町に行く予定だったが、やめてペルージャへ。9時前に駅に到着し、そこからバスで坂道を登っていった。ペルージャの町のメインストリートは道幅が広く、過ごしやすい感じ。そんな道を通って大聖堂の近くのユースホステルへ。やっぱり国際的なネットワークのあるユースホステルだと安心できるからね。半分以上そうだったのではないだろうか。

 ユースホステルの受付のおじさんは強面。でも人は見かけによらないもので。自分の知っている日本語を片言でしゃべってみたり、とユーモアあり。そんなおじさんに案内されて廊下の突き当たりの左側にある相部屋へと案内され、ドアが開けられ・・・

「ちょ、な、なんでここにいんの?」

 呆気にとられた。そこにいたのは、そう。ひょうきん者で英語の話せないベルギー人。サルアトーレだった・・・。

 やはり彼もユースホステルを梯子していたようだ。それにしても、こんな広いイタリアで3度も会うとは。日記によると「そしてなんと!サルアトーレと会う!どっひゃー!」いや、あれは確かにびびった。

 同じ部屋に日本人も居たが、愛想が無く、本を読んでいた。外国来てまで本読まなくてもよくね?

 いろいろ銀行をまわってトラベラーズチェックの手数料を聞きまくる。貧乏性大発揮だ。結局メインストリートの端っこにある近代的な設備の「Bancomatかなんかの銀行」で換金。

 大聖堂を除いてから、少し上ったところにある教会を見に。ピサでみた洗礼堂のような円形の建物。円柱が厳かに立っていて、静かで、神聖で。きれいな教会だった。

 レストランに入り、ストランゴッティ・アル・ポルチーニ・エ・フンギというながーい名前の料理を注文。要するにきのこ(ポルチーニとフンギ)の四角いスパゲッティ(ストランゴッティ)でした。アルデンテな固めの面に旨味たっぷりのきのこがいい感じ。一緒に食べたピザのモッツァレラチーズも旨かった。

 そこから南の方にある教会を見に行ったが、シエスタのおかげで閉館中。ぶらぶらと歩いていたが、15時ごろに急にクラッと来た。「日射病だろうか?ってぐらい」でも激盛でおいしいジェラートを食べたら少し回復。現金なもんだ。

 裏道にCOOP(=スーパー)発見!野菜も計り売りだし、果物も安い!というわけで今日はユースホステルのキッチンで料理に大決定。大学寮で料理やっててよかったわ。肉だけは肉屋で購入。安い白ワインも買って帰路についた。

 トマト、玉ネギ、セロリ、豚肉、ちょうちょ型パスタまではわかる。わからないのは「謎の葉っぱ」と「香りのいい草のあえ物」。なんだこりゃ?まあ、旨けりゃなんでもよし!こいつらまとめて炒めてゆでたパスタにからめりゃ完成。ってかうまい!大満足だ!

 オーストリア人の女の子と話したり、サルアトーレとその友人(?)と一緒にご飯を食べた。サルアトーレは食後にキアンティ・クラシコ(かなりいいワイン)を開封!ええーこんなところで?ごっつぁんですー。少し酔ったけど、うまかったわ~。ってか「うまい」ってワードばっかだな。今日は。

| Italia旅行記 | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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17日目-祭り4発目

 7時50分に起床。朝ごはんは「牛乳、クロワッサン×2、シリアル2杯、生絞りレッドオレンジジュース。なかなかいけてるわ~。」

 今日は午後から馬上槍試合祭り。午前中は公園を散歩したり、川沿いを歩いたりのんびり。途中でフラリと入った建物がたまたまGiostra(=馬上槍競技)の博物館だった。映像などで各地のGiostraやPalio(競馬)を見ることが出来た。調べてみると、この時いたUmbria州だけでもGiostra系の競うお祭りが20以上もあるらしい。イタリア全土を合わせたら三桁は余裕?結構メジャーなお祭りなようだ。

 Alezzoで見たGiostraでは得点盤を槍で打ち抜く、というものだったが、地域によって得物が剣や斧に変わり、的も人形だったり、鉄のワッカだったり。かなりバリエーションがあるようだ。

 Italia語はわからんかったが、映像などは結構楽しめた。しかしぶらぶら歩いているうちに、併設されていた(?)博物館にはいってしまった。全然面白くなかったので博物館の出口から出ようとしたら受付に呼び止められて、入場料金5ユーロを取られてしまった。今思うとちゃんと主張しろよ、って感じだが。それとも一応博物館の中を見たので律儀に料金を払ったのだっけか?

 気を取り直して街中をうろつき、14時ごろ会場へ。残り物には福があるらしい。というかスタジアムになっていて、観客席が高い位置にるのでグラウンドを一望できる。前に座っていたデブイおばちゃんがちょっとだけ邪魔。昨日のチケット売り場のお姉ちゃんがいないかと探したが、いなかった。

 15時ごろから開始。お決まりの旗振りの舞。ただし昨日と同じなのであんましだ。太鼓、貴族、騎馬、と入場。騎馬たちがウォーミングアップで会場を走り始める。遠目だが、かなりの迫力。

 やはりこのお祭りも地区対抗らしく、観客席の一部は地区の数だけ区分けされており、それぞれの地区特有の色のスカーフや旗を手に若いのがドンチャンドンチャン。発炎筒をたいたり、旗を振りまくったり。応援合戦みたい。余興で鷹使いが鷹を飛ばせようとしていたが、鷹がちゃんと動かず。おっちゃんあせり気味。

 競技場は楕円形で、外周にそって走路があり、それに加えて対角線の走路が2本。それらが交差する中心の位置に的であるサラセン人形が立っている。サラセン人形は高さ3mほどの金属製。いかつい顔のおっさんで、兜をかぶり、左手に楯、右手は横にまっすぐ伸ばしている(競技の時にはこの手の先に鉄のワッカをぶら下げる)。

 ルールを説明すると・・・
20040919Foglino Giostra1、助走をつけた状態でスタートし、8の字を描くようにして馬を走らせ、サラセン人形の横を3回通過する。走るルートは右の図を見てください。

2、サラセン人形の右手にぶら下がっている鉄のワッカのランス(=馬上槍)で取る。

3、これを3回行う。ただし、ワッカをすべて取れなかった、もしくはコース上のポールを倒してしまったという時は次の試技に進むことが出来ない。点数としてはワッカを1つ落とすと-30点。ポールを倒すと-10点(-20点かもしれない)。

4、3回の試技を行い、点数の高いチームが勝利。同点の場合はタイムで優勝が決まる。

 要するに、出来るだけ早くゴールまで走りながら、ワッカを正確に取らなければいけない。馬の走力、鋭角のコーナーを抜ける馬の扱い、スピードと度胸、ランスの正確さが勝者を決める!ちなみに1周55~58秒。カーブが結構きついから500mぐらいかな?

 各チームが馬をスタートさせると、さっきまでワーワーしていた会場がシンと静まり返った。響くのは馬の蹄の駆け足と、サラセン人形の脇を通過するときに響く「チャリン」という金属音。こっちが緊張してしまうぐらい。ワッカを落とすと一瞬どよめくのだけれどね。またすぐに静かになる。全10チームの内、2回目が終わるまでに2チームがワッカを落とし、1チームがポールを倒して計3チームが失格。

 3回目の試技。馬も疲れているだろうし、人もそうだろう。どのチームも焦っているのが良くわかる。「出来るだけ早く、しかしワッカは落とせない。でも早くゴールしなければ優勝は無い・・・。」そんな焦りがミスを誘う。ポールを倒したりワッカを落とすチームが続出した。結果は4位の薄い青のチームが無難に終えた後に走った上位3チームがすべて減点。勝者が決定した。

 競技が終わるとグラウンドは開放。自分も降りて、サラセン人形と写真を撮ってきた。出場者たちはこれからも少しパレードするらしい。面白かった。結論から言うとお祭りでは一番面白かったな。

 焼きたてのピザを食べ、ピザ1枚より高いスプライトを飲んでユースホステルに帰った。

| Italia旅行記 | 13:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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16日目-アーティスティック!?

 同室のアダチさんに挨拶し、フィレンツェの町へ。今日は美術館鑑賞だ。せっかくの時間を時間待ちで潰したくなかったので、相当早くウフィッツィ美術館に行ったら20番手ぐらい。開館とともに、待ち時間ゼロで入ることが出来た。

 ウフィッツィ美術館は部屋数が45あって、そのうち2部屋が工事中。昨日アダチさんのアドバイスどおりオーディオガイドを借りた。もしかするとイタリア人が「コノ宗教画ワア、ヘンキュウ・・シャク二年ニィ・・・」なんていうなへっぽこな日本語をしゃべっているかも知れないと思ったが、さすがは世界に名だたる美術館。おそらく日本人が録音したのであろう、しっかりとしたガイドを聞くことができた。内容もシロウト向け。俺がふーん、と聞くことができるくらいのレベル。おかげでかなり楽しめた4時間だった。いっといてよかった。一生行かないだろうし。食わず嫌いは駄目だね。

 ひたすら絵が並んでいるが、やはり宗教画が多い。多い、というかほとんど宗教画。おなか一杯。昔の平面的な絵の良さは全然わからなかった。しかし近代的な絵、特に有名なボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」などは見ごたえがあった。なんというか、絵が訴えてくるっていうか、目が離せなくなる、っていうか、そんな感じ。

 一番よかったのはコッレジオの絵。でも、正直に言うと一番気に入ったくせに2008年にはもう忘れている。日記より抜粋、「マリアがキリストに向かって微笑んでいる絵。地味だがこれが一番好きかも。」あとは小さな絵だったが、ロッソ・フロレンティーノの「奏楽天使」。日記によると(個人的に)「特別賞」だそうだ。

 12時近くになってやっと美術館を出た。昼飯はパン、チーズ、ハム、リンゴ。完璧。懐が心もとなかったので、アメリカンエクスプレスに電話して、これから行くペルージャにトラベラーズチェックの換金所があるかどうかをきくために電話した。長い呼び出し音の後に出たのは、つたない日本語を話す女性。しかし、どうにかコミュニケーションを取れそうだったのに、向こうが操作を間違ったのか、途中で切れてしまった。あーあ。また電話するのも面倒だし、どこかで見つかるだろ。

 そう思って歩き出したら、パン屋になんと「T/C、OK」の文字。拾う神万歳!タルトなんかを買ってトラベラーズチェックではらい、おつり現金。ほぼ換金みたいなものだね。ごっつぁーんです。チョコレートとオレンジピールのタルトが美味しかった。

 少しぶらぶらしてから、16時のフォリノ行きの列車に乗る。3時間かかってフォリノに到着。まだ少し明るいぐらい。祭り4発目、ってやつだ。インフォメーションでチケット売り場を聞き、直行。駅前にあった。チケット売り場に入ると係りのおっさんと、お客さんっぽいお姉さんが一人。

 「チケット下さい」

 そういって、係りのおっさんの手元を見ると×印で埋まった競技場の地図。ま、まさか?満席?そんな馬鹿な。いや、、、まだ後ろの方の6つぐらい開いているじゃないか。

 なぜか、お姉ちゃんとおっさんが話し始めた。なんでだ?とにかく話が終わったらしく、おっさんがチケットを売ってくれた。22ユーロ。お金を払った後でおねえちゃんに英語で言われた。

 「多分その席の周りはvery beautiful girlよ~。」

 は?いきなり言われても。とりあえず

 「Rearly?」

ぐらい言って笑うぐらいしかできんかった。「Like you?」なんていっときゃよかったかな?ちなみに実際はおばちゃんだった(笑)。Girlじゃねえ!

 それにしてもなんでおっちゃんとおねえちゃんが話してたんだろう?雰囲気から察するに、お姉ちゃんが地球の反対側からやってきた旅行者に席を譲ってくれたのではなかろうか?でもそれだったら祭り本番の時、近くの席にそのおねえちゃんがいてもいいはずなので矛盾する。今となってはわからない。

 ちょっと奥まったところにあったユースホステルの受付は英語のレベルが俺と同じくらいのお姉ちゃん。チェックインを済ませ、夕ご飯へと待ちへくり出した。しかし、祭りの関係だろう、地区ごとのトラットリアやリストランテでは食事会のようなものが開かれていて、予約が無いと入れなさそうだった。仕方が無いのでそこらのテイクアウトでピザ2枚とジェラート。フィレンツェが高すぎたおかげで滅茶苦茶安く感じる。ジェラートも激盛!

 人がたくさん集まっていたので、ライトアップされたメイン広場で待っていたら、中世の格好をした人々が入場。いきなりイベントが開始。前夜祭ってやつか。もちろん旗の舞も。投げたり振ったりのレベルはこれまでと比べると低いが、組体操みたいに肩車をしたり、思いっきり旗を投げたり。夜のライトアップの中の舞も面白いね。続いて、貴族、騎士、王族、坊さんが入場。坊さんが挨拶したり、激励の言葉をしゃべったり、パレードしたり。

 いや、面白いんだけど、アナウンスがすさまじくうるさかった。24時ごろまでドンチャンドンチャン。「やっぱ明日がメインかなあ。」

| Italia旅行記 | 11:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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15日目-さんぽ

 朝飯のときにテレビで見た天気予報は曇り時々晴れ。しかし、隣の町の天気予報は雨。もしかしたら降るかもしれない。さてどうしたものかと考えた挙句、「少しカゼ気味だったので、フィレンツェの北西にあるFiesoleへ歩いて行くことにした」訳がわからん。風邪気味だったらそんな遠くまで行くなよ。

 観光客が中心を外れるにしたがって少なくなっていく、市場や路面電車を眺め、Fiesoleへと登って行く。約8kmで2時間弱。標高としては150mぐらいかな?交通量の多い道を登って行くと到着。小さい街だったが、それよりも景色!Fフィレンツェの眺めは最高!

 ほとんどが赤い屋根で、都市全体としてきれいだ。絵に描いたよう、というか。日本は目立てばよし、って感じで町中にいろんな色のド派手な看板があったり、建物も建物自身のためを第1に考えて設計されている(気がする)ので、一つの街として統一感がない。それに比べてフィレンツェは美しかった!歩いてきた甲斐があったわ。

 ここからは観光案内所で教えてもらった山越えの道へ。(お前本当に風邪気味か?)しかし、途中でいい感じのお城を発見して、いってみることにした。しかし2kmほど歩いていったのに、予約が無いとはいれない。がーん。

 元の道に戻り、Olmoという街に向かって歩き出したが、バス停の表示などをみても全然近づいている気がしない。道間違ったのか?結局帰りのバスが無い危険性に気付き、戻ることにした。歩きすぎて足の太ももが痛い。帰り道は一度通った道。つまらん。Fiesoleからはバス。1ユーロ。

 夜飯は同室のアダチさんと。近場のレストランに食べに行った。鶏肉のハーブ焼きとサラダ。高い、がうまい。アダチさんはワインをクォーターと頼んでいた。なるほど、英語が通じる場合はハーフ、クォーターとと頼めばいいのか。観光地フィレンツェだから英語が通じるレストランが多いってのもあるのろうね。

 フィレンツェに来たのに、美術館に行ってない、アートはわからないから行くつもりもあまり無い、といったら、それは損だよ、というわけでアドバイス。ゴシックからルネサンスへの絵の代わり様や、ウフィッツィ美術館の絵についての話などを熱く語ってくて面白かった。

 もう一つ、印象に残った話といえば。将来何をするのか、という話をしたときに、農家なんてどうですかねえ、と言ったら、彼は、死ぬまで毎年毎年同じことを繰り返して行くのは嫌だ、どちらかというと何年もかかるようなプロジェクトでもいいから時間とともに内容が進展して変わって行くような仕事がいい、という話をしていた。そういう話を帰ってからお袋にしたら、農家の仕事が何度も繰り返すというっても40回ぐらいだし、毎年なんかかんか変化があるよ、と言われた。価値観の違いってやつですか。なぜか強烈に印象に残っている。というか、美術の話のことは全く忘れてた。てへ。

 ワインで喘息が少し出てしまい、おまけにベッドが寝にくい。しかも、蚊がうるさい。プーンって。プーン。もうどこかに止まったかもしれないのに羽音だけが耳について気になる。やれやれ。

| Italia旅行記 | 19:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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14日目-キアンティ

 7時起床。朝飯は宿で出たベーコンエッグとトースト2枚。ここのユースは街中にあってゴミゴミしていて狭い。ユースホステルの例に漏れず、雑多な人種がそこいらをうろついている。

 今日の目的地はToscana州のキアンティ。というか本当はキアンティに泊まりたかったのだが、宿泊料金が馬鹿高いのでFirenzeの安宿を基点にして動くことにしたのだ。ワインの名産地で丘陵の景色がきれいだそうだ。それほど遠くなかったので、始めは自転車で行くことも考えていたのだが、天気用法が「雷つきの雲」だったので断念してバスで行くことにした。1時間ジグザグ道を走り、Greve in Chiantiへ。

 観光地ではあるが、ド田舎ということで人は少なめ。インフォメーションで道を聞いて、まずは街の北西へ。村を通り過ぎて、少し山の中に入ったところで折り返し。確かこれ以上行っても何もなさそうだ、と思ったから。

 今度は街の南にある丘の向こうをみたくなったので(って日記に書いてある、そ、そうなのか?)歩いて行く。途中にあった村は、歩くのも苦労するぐらいのボコボコの石畳の道の走る小さな村。半径300mぐらいの小さなエリアに家がぎっしり。田舎の防衛策なのだろうか。壁で囲まれていたし。あまり人はいなかった。

 丘の向こうが見える辺りでお昼ご飯。景色はよく覚えていない。フランスパン、ハム、味が濃くてうまいペッコリーノチーズ。途中で自然に自生している(と思われた)ブドウを食いつつ、街へ戻る。

 ワイン博物館を少し見にいったが、お金を払わないと試飲はできないらしい。北海道のワイナリーは飲み放題だったぞ。バナナ補給して、エノテカ(ワイン屋さん)に入る。ばあちゃんはワイン好きだ。結構な種類のワインが並べてある。値段もピンきりだが、年代が古けりゃ高価というわけでもない。当たり年とかの関係?結局は無難なワインをチョイス。また荷物が増えちまったよ。

 また1時間かけてFirenzeへ戻る。同じ部屋にいた20代後半でメガネをかけたアダチさんという方と話した。ロンドンで都市計画の勉強中。イタリアの都市を見に来たらしい。もちろん観光半分で。

 そして、そして。なんとLuccaのユースホステルで部屋が一緒だったサルアトーレと再開!俺は気付かなかったのだけれど、向こうが覚えていてくれた。サルアトーレもユースホステルを梯子しているらしい。

 実は彼、ベルギー語とイタリア語は話せるが、英語が話せない。もちろん俺は、英語は多少は出来てもイタリア語はほとんど話せない。んで、どうやって意思疎通したかというと、筆談。だから日記帳の裏の見開きには絵がごちゃごちゃと描いてある。今となっては内容はわからないが、かえって生生しい感じがする。

 ベルギーの象徴的なモニュメントの話、ロッククライミング、3,500m(?)の山からParapanse(パラシュート?)した話、今度はヘリコプターからやりたい、などなど。自分も大学時代にボート部でペアを漕いでいたとか、日本には江戸時代のお城が残っているとか、イタリアではどこに行ったかとか、兄弟の話とか。

 いやあ笑った笑った。言葉なんて関係ねえ!ほぼ完璧に意思疎通できていたしね。サルアトーレの印象が強すぎて、この場所にもう一人いたはずのブラジル人の女の子の記憶は全くなくなっている。サルアトーレは26ぐらいって言ってた。

 「おもろいやっちゃ」

| Italia旅行記 | 10:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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13日目-Firenzeへ

 6時40分に頑張って起きたが、チェックアウトは7時半から。昨日やっときゃよかった。8時の列車に乗りたかったのにぃ。チェックアウトを済ませてダッシュ!朝食は昨日と同じBarでパニーニとミルクで2.5ユーロ。急げー!

 しかし、「急ぎすぎて頭はプリン。」駅へと順調に向かっていたはずなのだが、城壁にたどり着いたときに、昨日何度か目にしていた川が流れているのを見て、逆方向に来てしまった!と思いっきり勘違い。川に沿って行けば反対側に出られる!と思って更にダッシュ。北へ北へ。駅は街の南側・・・。

 街を横切り、城壁の外側にたどり着いたが、どうも駅前の風景でない。なんでだ?(←馬鹿ポン)。いや、城壁にそって歩いていけば駅にたどり着ける!という安直なセオリーで歩き続ける。が、いつまでたっても駅が無い。8時はとっくに過ぎてしまった。

 城壁を半周してやっとこさ駅にたどり着いた。フィレンツェ行きに乗ったのは9時13分。要するに、宿から南東に歩き、城壁(街を囲んでいる)まで行ったはいいけど折り返して北へ。城壁の北側まで行ってしまい、そこから街の東側の城壁に沿ってぐるっと半周。S字型。「あー疲れた」。そりゃそうだ。

 10:50フィレンツェの駅に到着。観光客が、日本人が多いな。やはり美術館やら有名な教会があるので観光地なのだろう。おかげで物価が馬鹿高い。イタリア旅行中に食いまくっていたジェラートで物価の比較をしてみると。たとえば2ユーロだしたら、田舎なら大き目のアイスを3つぐらい乗せてくれる。しかしフィレンツェだと小さめアイスを2つ、ってところか。節約せねば。

 美術館行っても芸術はわからんだろ、と思っていたので街を見て歩くことにしていた。少し雨っぽかったが、街のちょっとはずれにあるボーボリ庭園へ。大貴族の庭園が昔のままに保存されている。木々と苔むした大理石の像、噴水、坂、木で覆われた道などなど・・・。日記に感想が書いていない。「しかし午前中に走り回ったせいか、疲れが、、、。庭園を出た後に買って食べたリンゴのうまかったこと!」花より団子かっ!

 ボーボリ庭園の入場料は6ユーロ。その後肉とチーズを買ったら6ユーロ。パン屋でパンも購入してお昼ご飯。この後急激に株を上げ始める食事方法なのだが、強めのチーズと塩っけのきいた肉(サラミとかハムとか)を挟んで食べるパンのうまいこと!イタリアで何が一番美味しかった、と聞かれたら断然このサンドイッチ。Simple is bestってのかね。

 街を歩き回って終了。ユースホステルでは夜に酔っ払いが帰ってきてトイレでゲーゲー、ベッドでゲーゲー。うるさい。「次の日『That's was very bad.』と言ってやった」と日記にあるが、正確には「You were very bad last night」だな。意味通じたのかな?

| Italia旅行記 | 08:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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12日目-雨!

 今日は特に何もせず、ぶらぶら過ごす気満々で7:30に起床。いままで走りっぱなしだったので一息いれよう。まずは街を囲む城壁へ向かって西へ。朝ごはんは途中のBarでパニーニとカフェ・マッキアートとカルドという野菜。「いい朝食」だ。

 途中で教会をのぞきつつ、城壁へ。城壁といっても幅が10m近くあり、その上は遊歩道になっており、ぐるりと歩くことができる。結構高さもあるが、柵は無く、土が高めに盛ってあるだけ。飛び降りられます。南に向いてずうっとずうっと歩いていき、城壁をゆっくりと1周。

 インターネットポイントを見つけ、メールをチェックした。すると、日本の近況を知らせるメールが来ていて、すさまじい台風が襲来した、とのこと。実家では馬小屋の屋根が吹っ飛び、胡桃の木が倒れ、リンゴが根こそぎ(?)落ちまくったらしい(←これが一番ショック。嗚呼、リンゴ・・・)。呆然。

 ちなみにこの台風によって北海道大学の構内に生えていた大木が折れまくり、札幌に帰って景色が変わっていてびっくりした。学校の授業は休講に成るわ、エルム並木は倒れて物議をかもしだすわで大変だったようだ。シエスタのおかげで途中で追い出されてしまった。

 お昼ごはんに「ブラーリ」という名前のトラットリアにぶらり。Turist Menue(旅行者メニュー)を注文。初コース料理。パン、トマトとクロスティーナ、何とか小麦の出汁のきいたスープ、チーズと「ちょいとグロテスクで緑の皮と赤い内側を持つフルーツ」。デザートに「フルーツの甘蜜かけ(?)」。緑と赤のフルーツが一番印象に残ったかな。外側が少しねばっこくて、内側がメロンの内側みたいな感じでひげひげ。でもうまい。これってイチジクってやつだよね?でもこの時は知識が無くて恐る恐る。緑と赤はフルーツっぽくなかったしね。美味しかったのにチップ置き忘れた。ごめんー。

 こんどは城壁の外側を歩き始めたが、雨がぽつぽつ。傘も持っていなかったので屋根のある場所で雨宿り。ガイドブックを読みつつこれからの計画を練る。30分ほどで雨が上がった。昨日の駅前のジェラテリアに行ったら同じ値段で1種類多くサービスで盛ってくれた。ごっつぁんです。結構暑かったはず。しょっちゅうジェラテリアに行っていた記憶が。

 少しすると雨がまた降ってきた。ふってきたってモンじゃない。日記の表現を借りるなら、「雨がジャージャー雷ドンドン。雨で霞んで景色がぼやけるほど!」そんな中、もう一度インターネットポイントに行き、ホテルの予約をしたり、情報収集。

 帰ろうとしたところで雨がピーク。「雨は滝のように流れているし(降っているのではなく、流れている!)、道は流れる水でガーガーいってるし、空は真っ黒、雷は絶好調。」城壁の上の屋根のあるところで雷見物しようとしたが、角度が悪くてイマイチ。

 止みそうに無かったので「どっしゃ降りの中」、帰宅の途へ。途中で肉屋によってフォッカチオを食べ(休憩ついでに店内で食べさせてもらった。おばちゃんに笑われた。)、ユースホステルに着いたころには水も滴るなんとやら。シャワーを浴び、日記をつけた。それが終わる頃には雨が上がり、空が広かったので雷見物へ城壁に上ってみたが、もう遠くに行ってしまったらしく、建物の影になって空が光るのが少し見えるだけ。「寝よ寝よ。」

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11日目-祭り3発目

 8:50Bassanoを出発。ベネチア、ボローニャ、プラトを経由してLuccaという町へ。ボローニャとプラトではトラベラーズチェックを交換できるアメリカンエクスプレスを探したが見つからず。17時ぐらいまでずっと列車の中。ほぼ移動日だな。

 それにしても。イタリアの列車のなんといい加減なこと。5分10分の遅れは当たり前。しかもそれが始発駅でも起きるのだ。単線じゃなけりゃ始発駅で時刻が遅れることなんて無いはずなのに、だ。ストライキが絡むと更に滅茶苦茶になるし。

 旅の始めのころは放送されるイタリア語も全くわからず、列車が来なくて焦ったりしたが、後の方になると「またか」と、慣れてしまった。焦ることは無いのだ。ゆっくり旅をしよう。日本に帰って東京の列車のダイヤが1分の時間差でつくられているのにビビり、そのダイヤどおりに列車がホームに入ってきたときには更に驚いた。ある意味こっちの方が異常だと思ったりして。

 Lucca駅前にあるジェラテリア「La cremaria」で一息。旨い。この街の第1印象は「城壁スゲー、でけー、完璧。」相変わらず表現力が豊かです。城塞都市だったのかな。高さ20mほどの高さの城壁が街を取り囲んでいる。

 今回の目的のお祭りはLuminaria di Santa Croceというもの。英語のイルミネーションとも語源が一緒なのかな?事前にネットで調べたところでは光のお祭りという感じだった(はず、もうわすれた)。お祭りなら行っとくっきゃねえ、ということで来てみたわけだが。

 入り組んだ裏道にあったユースでチェックインし、20時頃からお祭り開始。なぜか地区ごとの消防士の大行列。ロウソクや、その地区の名前を書いたプレートを掲げ、行列。Luccaの地区の消防士の他にイタリアのいろんな所からも来ていたが、アメリカ、カナダやなんかからも来ていたようだ。

 続いては中世チックな時代行列。ラッパに合わせて踊ったり、牧師が歩いてきたり、お得意の旗回し隊が女の子だったり。日記によると3400人ぐらいいたそうだ。数えていたのか?

 それにしても「2時間20分は長い」。しかも行列のテーマがわからないのであまり、というか全然楽しくない。見てるだけで疲れてしまった。ユースホステルに帰宅して日記と銭管理。夜飯に飲んだコーラがスカッとして美味しかった。しかしそろそろ「味噌汁がのみたくなってきたかも」。

 こんな感じでお祭り(?)終了~、と思っていたら

ドン!

 という爆発音。なんだなんだと窓を開けてみたら花火じゃん。残念なことに花火が上がったいたのがちょうど木の向こうでかすかにしか見られなかったが、きれいだった。花火のしたでも何かやっていたのかもしれない。もしかして今がお祭りのメインだったのか?そう思いつつも眠気と疲れには勝てず。勿体無いが、就寝。

 ユースホステルではサルアトーレというベルギー人とちょっとだけ話した。当たり障りの無い会話しかしなかったはずだが。彼がイタリア旅行で重要なポジションを占めることになろうとは夢にも思わなかった。

 2008年に改めて調べてみると、Luminaria di Santa Croceのお祭りでは、街並みがライトアップされて幻想的な街並みが・・・という感じらしいが、日記には街の様子に関する記述は無い。俺の記憶にも無い。もっと歩き回っていろいろ見て置けばよかったかなあ。それとも「幻想的な街並み」がたいしたことなくて記憶に残らなかったのか。謎だ。

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10日目-祭り2発目

「10日が過ぎた!」

 ちょっと早めに起きて7時41分の電車でベネチアに別れを告げた。行き先はBassano del Grappaだ。今回見る祭りは、その隣町Marosticaで行われる人間チェス。といってもチェスの試合をするわけではなくて、劇の一部分で人間を使ったチェスをする、という演出。劇は、人間チェスで争いを解決した故事を再現しているそうだ。

 到着し、インフォメーションで地図をもらい、Marostica行きのバスの乗り方も教えてもらった。ついでにFlora Happeningというイベントもあるとおしえてもらったので、これに行くことにした。

 その前にユースホステルに行ったのだが、場所が良くわからなくて困ってしまった。入り口っぽいのはあるのだが、門は閉まっているし。こういうときは地元の人に聞いてみよう。ということで近くの人に聞いてみたら、通りがかりの人まで来てくれて案内してくれた。大感謝!ユースホステルはキレイで広くてよかったが、受付のおばちゃんがイタリア語しか話せず、宿泊者の中学生っぽいのに通訳してもらった。

 Flora Happeningの会場を探し、それらしいところに入り込んだはいいが、フォーマルな衣装をきたおっさんに、今日はVilla(貴族の別荘みたいなところ)はCloseであっちが出口だ、と追い出されてしまった。どうも予約がないと駄目のようだった。

 バスのチケットを購入してから時間があったので中央広場で昼食。頼んでからヤケに時間がかかったトーストは焦げ目がばっちりで熱々!「チーズが旨い!」

 Marosticaはどんよりとした曇り空。色とりどりの楯や旗が城壁を飾り、祭り一色だ。しかし、チケット売り場を差がして歩いても歩いても場所がわからない。通りかかった30前ぐらいでグラサンをかけた少し強面のお兄さんに聞いてみたら「つれってってやるゼ!」と言われた。お、案内してくれるのか。

 とおもったら、すぐそこにあった車に乗り込んでしまった。ちょっ。待て待て。見も知らずの人の車に乗って大丈夫か?そう思ったが、人の親切を断ることもできず、大丈夫だろ、ってことで助手席へ。

 もちろん杞憂でした。っていうかチケット売り場は広場をはさんで反対側のすぐ近く。車で行くまでも無いほど近かった。お兄さんとはハイタッチ系の握手をかわし、別れた。

 チケットを購入し、少し雨が降る中、会場となるチェスボードが地面に描かれた広場を見てまわる。まだまだ時間があったので山の上に見えた城壁まで散歩することにした。15分ほど遊歩道を上り、街を見下ろす尾根の上へ。見えるのは、小雨にかすむ赤茶けた屋根とさっきのチェスボード、丘の続くToscanaの風景、北海道の美瑛みたいな感じかな。尾根の上で少し歩いたが、雨もあってそこそこで下界におりた。暇だ。ウィンドウショッピングを少し。

 17時開演!しかし、席が悪い。安い席というのもあるが、それ以上に、階段の手すりやら照明の柱やらが邪魔!業を煮やし、座席の上にある通路に立って見ることにした。視力がいいので問題なし。

 踊り子の舞から始まり、火吹き芸やジャグリング、そしてAlezzoでもやっていた旗演舞。Alezzoより旗の回し方が多くて面白い。青と赤の衣装でそろえられた貴族や騎士、旗持ち、兵隊が入場しイタリア語で劇。何言ってるのかはわからん。が、雰囲気は大体。一応ストーリーは読んでいたのでなんとくうなづいてみたり。

 そして人間チェス開始。白と黒の服に包まれた駒たちが広場のボードに並び、2人の貴族が手元のチェスボードを動かすとそれが読み上げられ、広場の駒が動いて行く。おごそかな雰囲気の中、坦々と駒は動き続き、はじかれた兵隊が広場の脇に並んで行く。チェスの手順はよく見ていなかったが、10分ぐらいで決着。みごと愛をかちとりました、って感じかな。途中で白の馬がこけて、焦りまくっていた。

 その後にもう一度旗の演舞。団体演舞、2人演舞、1人演舞の順に3パターン。最後の1人でやった舞はすごかった。体の動きだけで旗を首の周りで回すのは朝飯前って感じで、放り投げた旗を背面キャッチしたり、脚だけで旗を回したり、その上リフティングしたり・・・。

 最後に登場人物たちが広場をぐるぐる回って終了。楽隊の演奏も手伝って中世ヨーロッパを生で味わえた気分。イタリア語がわかればもうちょっとよかったかもね。近くで買って食べた切り売りのナポリ風のピザは食べ応えがあって美味しかった。バスでMarosticaに別れをつげ、ユースホステルに21時帰宅。23時就寝。

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9日目-散歩

 7時起床して散歩。島の東まで適当に歩いて行こうとしたら、島の北側に出てしまった。海を左手に、何かの壁を右手に見ながら更に東へ。しかし、1.5kmほど歩いたところで工場のような建物にぶつかり、行き止まり。後で調べたところ、軍の施設になっていたようだ。

 来た道を戻り、島の南の岸まで街中を抜け、また東に向かって歩く。まだ9時前で人が少なく、気持ちがいい。歩いて行くと公園があり、赤いベンチ、木々、芝生が整っている。赤ベンチに座り、イタリアのすがすがしい朝を味わう。結構ランニングしている人がいる。自転車はほとんどいない。公園のさらに東はスタジアムがあるようだ。

 ここから少し北に歩き、教会S.Pietroへ。朝が早かった所為か、それとも中心部から離れている所為か、自分ひとりしかいなかった。案内してくれたおじさんは親切でいろいろ資料をくれた。話しているイタリア語はサッパリわからなかったが。「この教会は今までで一番教会らしい教会だった。音もカツンカツンとよく響いた」。

 さらに北に歩いたが、やっぱり軍の施設で行き止まり。Ca'queriniに戻り昼食を食べ、再出発。

 ベネチアの道を歩いていて、2つ、面白い人を見つけた。道、といっても人通りの多い広い道で。

 1つは仮面を付けて、ド派手な衣装を着た芸人(?)。何をするかというと、何にもしないで突っ立ってて、たまに動く。何が面白いかって?「何もしない」こと。文字通り動かないのだ。まるで何かの彫像のように。肌なんかも全部塗料で塗りたくっているので動かないとまるで人形。そこで不審に思った観光客が近づくといきなり動いてびっくりさせるわけだ。そこで仲良くなって写真を撮ったり。観光客が投げてくれるお金でかせいでいるのかな?

 2つめ。足を引きずった物乞い。始め見たときはその痛々しい姿にかわいそうだな、とも思った。しかし、始めに見た場所を通るときは必ずといっていいほど、痛々しく脚を引きずって「歩いている」。しかもわざわざ階段を通ったりして苦労しているようにも感じられる。しかもどこに行くでもなく、行ったり来たり。

 それを何度も見るうちに、やっと気付いた。物乞いか。世界一ともいえる観光地で、自分の弱さを媚びる姿は滑稽に写った。もちろん本当に脚が悪いのかもしれないが、もし、そうでなかったら?脚が悪くて別に目的の場所が無いのだったらわざわざ歩く馬鹿はいない。彼女は足が痛い老婆という姿を武器として生きているのだろう。賛否両論はあるだろうが、「俺は」人に媚びて生きる姿は嫌いだ。

 そんな雑踏を抜け、Canal Grandeにかかるリアルト橋へ。有名な橋だそうだが、ゴテゴテした近代建築様式でいまひとつ。土産物屋とそれに群がる観光客だらけ。ここから西に歩いていったが、大学のような建物で行き止まり。

 さっきのリアルト橋よりすっきりとした作りのアカデミア橋付近のお土産屋を見てまわる。マーブル紙のしおり3枚とグラスペン2本を購入。帰宅し、ガイドブックを眺めて1日終了。ひき肉とズッキーニとトマトのパスタ。夜は蚊が飛んでいて、快眠できなかった。

| Italia旅行記 | 09:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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8日目-島国

 パン、ハム、チーズ、ピクルス、リンゴで朝飯して出発。ヴォパレット(運河を走る水上バス)の24時間チケットを購入。10.50ユーロなり。51番線にのって、本島の西側を北上し、そこからMurano島行きに乗った。しかし、途中の島で降りてしまい、30分ほどぶらぶらする破目に。ヨーロピアンな墓地しかなかった。

 Muranoには10時20分着。ガラス細工が有名ということで、その手のお店がたくさんあり、ウィンドウショッピングを楽しんだ。でも値段が・・・。Murano島も小路だらけ。少し人が少なかったかな。

 1時間ほどで本島に戻り、ジェラートをつっつきながら、いろいろ食材を買い、Ca queriniにもどって昼飯。チーズ、パン、パン屋のティラミス。おなかも一杯になったところでベネチアのど真ん中をぶち抜く運河、Canal Grandeを走る1番線のヴォパレットに乗船。しかし、モーターボートとよくわかんない建物が建っているだけ。「ねむい」。

 82番線に乗って南の島、ジュデッカ島へ。Barもなく、公衆トイレもなく、家しかなった。東に歩いていってサンジョルジュ島まで行こうとしたが、ジュデッカ島の東部は軍の施設がどっかり。こんな狭いところに軍隊の施設作んなよ。歴史的背景からは軍の施設があるのは納得できるのだけれどね。でも観光地に軍の基地って、そぐわないだろう。

 またもや海上を走ってサンジョルジュ島へ。まあ、家以外は教会しかなかったんだけれどね。観光地は本島で、サンジョルジュ島とジュデッか島が市民の住処になっているのかな?教会にあった「最後の晩餐(だと思う)」はきれいだった。

 本島に戻り、ガイドブックに駅の西側にお土産屋がたくさんある、とあったので散歩。独特の色をしたマーブル紙や、ピエロや怪物の面をかたどったお面屋(なぜかたくさんあった)などを見る。そのうちにふらりと入った小路にガラス工芸品のお店でガラスのペンを見つけた。インクを付けて書くガラスだけでできたペン。弟が変わった物がお土産に欲しいといっていたのを思い出し、このガラスのペンをお土産にすることにした。いくつか店を回り、物色していたが、途中で気がついた。

 ガラスならMuranoじゃん!

 道に迷いつつも歩いて島の北側に出て、朝に乗ったMurano島行きのヴォパレットに。全く同じく墓地の島を経由して、着いたときにはもういい時間になってしまっていた。というわけで閉店しているお店も多く、収穫無し。なーにやってんだか。

 夜飯は昨日のリゾットの残りと、トマトとズッキーニの平たいパスタ。パスタの味付けは塩のみだったが、うまい!ズッキーニの味が濃い。今考えるとベネチア産ということはありえないのだが、鮮度が良かったのだろうか?それともイタリアの味ってやつか?

 ちなみに。今日はボパレットの多大なるお世話になったわけだが、検札は1回も無かった。意味ねえーー。いや、持ってなかったら結構な罰金とられるから買わないわけにはいかないんだけれどね。でも電車の始発駅検札もそうだし、なんとアバウトなんだ、イタリアよ。

 それにしても、なんと平和な日なんだ。

| Italia旅行記 | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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7日目-ボローニャ、ベニス

 6時40分起床。ダッシュで駅に向かったが、なんと切符売り場が開いていない。あれ?そう思っているうちに乗るつもりだったLa spezia行きの列車が入ってきてしまった。どうするどうする?ええい、乗ってしまえ!

 無賃乗車(もう時効だよね?)。これを決断したのはちょっとした理由がある。これまでの経験から言って、切符を持っているかどうかチェックする車掌の巡回が、始発駅と1つ目に止まる駅の間でしか行われなかったからだ。要するにこの時乗車した駅は始発駅でなかったので車掌さんは来ない、と踏んだわけだ。まあ、切符売り場がしまっていたことを説明すればいいか、というのもあったしね。

 それでもドキドキした。してもしょうがなんだけれど。時間はすこしだったが、La Speziaにつくまでの長かったこと。やれやれ。でもおかげで予定通り7時45分の鉄道に乗ることができた。

 3時間ほどかかってボローニャに到着。ホントはベネチアに直行するつもりだったが、気が変わって散歩することにした。ネプチューン広場を見て、「ささやきの回廊」へ。この建物の端っこでささやくと、反対側の隅にたった人まで声が届く、という不思議な構造をしているらしいのだが、俺は一人旅。ささやく相手がいなきゃ意味ねー!

 ボローニャといえばボローニャスパゲッティ。というわけでレストランをさがしてパスタを食べたが、「麺が平たい。肉がパサパサしている。こんなもんか?」電車の切符を買ってから近くの公園で時間つぶしで散歩。亀の噴水。14時ぐらい発の電車でベネチアへ。眠い。海の上の街、ということで列車は大きな橋を渡り、到着した。

 嗚呼、ベネチア!憧れのベニス!それにしても人、人、人・・・・・・。さすが観光地。土産物屋が林立し、Barのメニューは法外(というほどではないか)な値段、運河や狭い水路に浮かぶゴンドラと大型水上バス・ヴォパレット。

 ちなみにゴンドラはほとんどが観光客向けのイベント的な乗り物になってしまっていて、主要な交通手段はヴォパレットと歩き。道は海岸線の道は広かったが、内陸に入るとそこは狭い路地が入り組んでいる。噂どおり、車はゼロ。というか車が走れるような道が無い。狭いし、橋やなんかに結構階段があるので物理的に無理なのだ。火事とか起きたらどうするんだろう?自転車も見かけなかった。

 .地図とにらめっこしながら歩き始めたが、本当に狭い。誰かさん家の裏庭を通っているような気分だ。しかも人多すぎ!これでも時期的にはピークじゃあないってんだから、恐ろしい。トラベラーズチェックを200ユーロ分交換し、ホテルカ・クエリーニへ。受付は英語の話せる気の弱そうなおじさん。親切に対応してくれた。

 キレイな部屋に荷物を置き、散歩に出かけた。裏道っぽいところを散策していたらスーパー発見!レトルトのリゾット、牛乳、ピクルスなどを購入。イタリアは野菜が安い。しかも量り売り。自分で野菜を袋に入れ、はかりに載せ、野菜ごとのボタンを押せばグラムと値段が書いたシールがでてきて、これを袋に張ってレジに行けば会計してくれる、というわけだ。一時滞在の人にとっては嬉しいシステムだね!2日分の朝夜ご飯のための食材を買っても10ユーロ。安い!レストラン1回分より安い。節約しなくてもよかったが、ベニスでレストラン入ったら馬鹿高そうだったからね。

 ホテルのキッチンで料理。リゾットの作り方はイタリア語で良くわからなかったので適当につくったらただのコンソメ炊き込みご飯になってしまった。ピクルス、チーズ、リモンチェッロと一緒にご馳走様~。

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6日目-海と電車と10.50ユーロ

 山の次は海!というわけで今日は人生初のシュノーケリング!前からやってみたかったの~。小銭を手元に残して金品類をセキュリティボックスに放り込み、ユースホステルで足ヒレ、ゴーグル、シュノーケルをレンタルして出発!今日も天気がいいぞ。

 今日はチンクエ・テッレの鉄道とバスが載り放題のチケットを購入。始めは駅のインフォメのお姉ちゃんオススメのスポットMonterossoの海に行こうと電車を待ったが、昨日のストライキの所為か、なかなか電車が来ない。しびれをきらし、ユースの兄ちゃん推薦のRio Maggioreに先に行くことにした。

 さすがに朝、ということで寒い。日記によると「10:30まで待って陽が登ってから」、とある。そんなに日の出遅かったっけ?とりあえず海も冷たかったがシュノーケリング開始!

 しかし、教えてくれる先生がいるわけでもなく、知識があるわけでもなく。パイプのくわえ方が悪くて海水を飲みまくったり、足ヒレ付けてるのに機動力低下したり、変に上半身に力が入ってしまってガチガチになったり。海の魚を見ながら優雅な水中散歩を想像していたが、シュノーケリング、そんなに甘くない。

 でも何とか浮いて海のそこを眺めながらプカプカできるようになった。そしたら次はもちろん潜水にチャレンジだ。はっきし言って足ヒレが邪魔だが、頑張って浮力に逆らう。始め、シュノーケルを海水が逆流してきてアップアップしてしまった。まあ、これは息を止めてりゃいいからいいのだけれど、耳が痛い!水圧でぎゅううううう、って感じ。水抜き、ていうのができればいいんだけれど、やり方誰か教えて~。

 ちなみに海岸は岩場でまあまあきれい。他の海水浴客も結構いたな。トップレスのお姉ちゃんもいた。魚はでかくて30cmぐらい。透明度は「たぶんけっこうあったと思う」ぐらい。30分泳いで寒くなって上がり、もう30分泳いだ。海水パンツは無かったのでハーフパンツ水泳。

 13時ごろMonterossoへ移動。「いかにもビーチって感じ」。ガイドブックに載っていたエノテカ(ワインバー)に向かい、ブルスケッタとワインをグラスで1杯(ちゃんとグラスで出てきて一安心?)。ワインはこの地域の名産で、少し梅酒に似ているかも、な甘口のもので、滅茶苦茶美味しかった。ブルスケッタもウマイ!ほろ酔いも手伝い、俺って幸せだなあ、と思っていた。そのことを思い出すその時までは・・・。

 この日記の冒頭に戻って読み直してみよう。そう、お財布の中には5ユーロとセント硬貨しか入っていないことを思い出したのだ。まあ、そんなわけで、焦りに焦りまくって財布の中身を確認すると、「10.79ユーロ」。メニューを見返し、ワインとブルスケッタの料金を合計すると「10.50ユーロ」。

 なーんだ。大丈夫じゃん。よかったねぇ。・・・・・なーんて言っているそこのおまえ!甘ぇ!甘すぎるっ!今飲んだばかりのシャケトラ並みの甘さだっっ!!!

 イタリアのレストランには「サービス料」というものが存在する!心付けとして適当な額(客が決められる)のチップを食事代とあわせて払うのが一般的だ。しかし場所によっては定額のサービス料が食事代と併記される場合もある!

 そして、さらに!「席料」と呼ばれるものが存在する!その名前の通り、料理の代金とは別に払う、いわゆる場所代というものだ!はっきりいって俺が行くような地元チックで下っ端(失礼)なレストランではこの料金は見かけないが、高級レストランでは設定されることがよくある(らしい)。そしてもうひとつ。この料金はいわゆる「観光地」であるほど設定される(らしいのだっ)!

 要するに。だ。席料・サービス料がレシートに記載された瞬間、俺は食い逃げ予備軍に降格してしまうのだ。ヤバイ。猛烈にヤバイ。まさか皿洗いさせられるとも思えんけど。何かを人質ならぬ物質に置いて宿に一度帰ってお金を取ってくるか?しかし、それをItaria語で言わなきゃいけないんでしょ?あうぅー・・・無理。

 とりあえず意を決してお店の人に会計を頼むと、すぐに料金を書いた紙を持って着てくれた。そこに書かれた数字は・・・

「10.50€」

うおおおおぉぉぉおおおっっ!  ←渾身のガッツポーズ

 ・・・た、助かった・・・。(ホントに)心ばかりのチップを加えた料金をテーブルに残し、店を出た。Monterossoの空はさわやかな青だった。


 気を取り直して海へ。小石と砂のビーチ。こっちは人がたくさんいてパラソルだらけだったので少し東の方に歩き、空いているところで2度目のシュノーケリングを開始。30分海散歩し、疲れて昼寝し、もう30分ぷかぷか。やっぱなれないことすると疲れますね。

 なかなか来ない電車に乗ってユースホステルへ一度戻り、歩いてRio maggioreへ。夜ご飯に切り売りのピザとリンゴをかじり、お土産のワインを購入。ワイン屋ではつり銭を誤魔化されかけて(それとも単純なミスかもしれないが)ちょっと嫌な気分になる。

 帰りは電車だったが、来る電車が快速なのか、鈍行なのかわからない。地元の人に、入ってきた電車を指差してIC(快速)かどうかきいたら、鈍行だ、といったので乗ったら。日記によるとこの後の絶叫は「ガーン!やられた。」快速だった。降りる駅であるManafolaを通り過ぎて今日2度目のMonterossoへ(チンクエ・テッレの西の端っこ)。1時間以上も待たされ、やっとこさ電車に乗れた。

 と思ったら。「考え事をしていて」降りそこない、隣の町のRio Maggioreまで行ってしまった。「めっちゃアホや。」来ない電車を待つのも嫌だったし、半分ヤケになり、真っ暗い中歩いてManaloraへ。21:30着。チェックアウトをしてしまい、就寝。

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5日目-海と山の町

 チクエ・テッレは日本語に訳すと「5つの村」という意味で、その名のとおり5つの村からなっている。イタリア北部のブーツのヒザ小僧あたりにある。海に面していると同時に、海岸線に迫る急峻な斜面のために、ブドウ畑が多く見られる。もう一つの産業は「観光」。山を歩き、海を泳ぎ、いわゆるバカンスリゾートなのだ。

 6時起床。今日は鉄道がストライキだ。今日の予定はサイクリングだ。どうせなら大自然を走り抜けようではないか、ということで。ちなみにこの時点では自転車部には興味のかけらも無かった。駅でレンタサイクルの場所を教えてもらったが、情報として得られたのは教会が近くにあって、山の上のほう、そして地図は超アバウト。すぐに見つかるだろうと思ってうろうろしたが、結局2時間半もかかってしまった。それにしても坂が多い。登って登って階段階段。自転車に乗る前に疲れてしまった。

 6€でMTBを1台レンタル。結構状態がよく、整備もきちんとしているようだ。サイクリングコースマップを見ると、コース別にレベルわけがされている。体育会系としてはもちろん1番レベルが高くて、「体力に自身がある人向」で、一番向こう側の村まで行くコースをチョイス。距離的に見たらそれほどでもないし、毎日30kmぐらいボート部で走っていたから余裕でしょ。というわけで出発進行~。

 と思ったら思いっきりけものみち。もちろんオフロード。幅20cmで周り草ぼうぼう。ホントにこれコースなのか?大自然とふれあえってことか?地図とそこいらの看板を見合わせながら進む。確かそれほど迷わなかった気がする。場所によっては広くなっていたり、尾根から海岸線を一望できたり。場所によってはうっそうとした森の中、行けども行けどもけものみちだったり・・・。やっぱりハードコースということで行きかう人もほとんどいない。それでも進む。頑張って進む。逆境こそ燃える!

 まあ、登りはいい。ギアを落としておりゃあぁっ、ってペダルを踏みまくればいい。問題は下りだ。MTBで山道を下ったことが無かったせいもあり、めっちゃ怖い。まるでスキー場のゲレンデで一番ひどいコースをまっすぐに下っている感じ。一度、気の根っこにつまづき、マジで前にこけそうになった。が、ハンドルを跳び箱の要領で飛び越し、見事な着地!転倒はなんとか回避できた。我ながら神業。ふぃー。

 半袖短パンの所為で脚と手には擦り傷だらけになりながら、やっとこさ折り返し地点の教会に到着。2時間45分。つ、つかれたぁ。リンゴ2つでどうにかしのいだ空腹を抱えてBarに入り、フォッカチオで昼食。帰りは行きとは違う道で、きちんとした舗装路。行きと比べると2倍ぐらいのスピードで走れるて気持ちいいが、南向きの斜面ということで景色もいいが、滅茶苦茶暑かった。スタート地点とゴール地点が違うが、2時間弱で到着。

 ユースホステルで荷物を置いてから、綺麗な夕日を眺めながら海岸線の道を歩いて隣町のCornigliaで夕飯ピザ。小さい街で、ブドウ畑がキレイ。街に入るためには300段の階段を登らなければならない。日記曰く、「地元の人って毎日これ登ってんのか?ネコも登っていた。」あまり記述が無いので印象的な街ではなかったらしい。もう階段ぐらいしか覚えてないや。

 来た道を戻り(暗くてちょっと怖かった)、ジェラート屋でさくらんぼとティラミスを盛ってもらって1日終了。「よくひえてておいしー。」

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4日目-PISA

 6時起床。あー2日酔いだぁ。2度寝してから宿で出た朝ごはんをもりもり食べて、おじさんと握手してから出発。間違えて特急券を買ってしまったりしたが、Firenze経由で斜塔が有名なPisaへ。Firenzeではイタリア人のお姉ちゃんが、ここで降りるんじゃなくてもう少し先よ、見たいなことを教えてくれた。

 Pisaに到着してから、まずは川を渡り、生鮮市場へ。トマトと青リンゴを買ってぶらぶら。地元の子供が「ダルマさんが転んだ」をやっていた。ただし、日本とルールが違う。鬼に動いたのを見られて指されたら、鬼と手をつないで救出を待つのではなく、スタートラインに戻らなければならないようだ。お昼ごはんは手近な店で。パニーニと一緒にフレッシュな生絞りオレンジジュースを飲みたくて、「unaranciata fresco」と頼んだら冷たいファンタオレンジが出てきた。あれ?(2008年の記述時に調べたところspremuta di aranciaが正解。形容詞のfrescoには「新鮮な」という意味と「冷たい」という意味があるので、これを勘違いしたものだと思われる。)

 そして今日のメイン、Pisaの斜塔の広場へ。広場といってもホントに広い。幅300m×長さ600mぐらい?そして観光客がことごとく斜塔を支える写真を撮っている。天邪鬼な俺は人と同じ写真を撮りたくなかったので、ピサの斜塔の傾斜した側の下で、カメラを地面に置き、脚でスイッチを押して自分と傾いた塔を撮影した。脛毛のまぶしい写真が・・・。

 斜塔に登ってガリレオの気分を味わいたかったが、入場制限があるらしく、16時まで待たないといけなかったので断念した。まあ、傾いている以外はヨーロピアンな塔ってとこだな。次に背が高く、円形の屋根を持った洗礼堂へ。始めはただの歴史的な石造りの建物だと思ってふーん、と何気なく見ていたが、少しして団体の観光客が入ってきてこの建物のすごさがわかった。

 観光客と一緒に入ってきたのは先ほどまで入り口で起立していた警備のおねえさん。ガイド役も兼ねているらしく、周りの人に向かって建物の説明を始める。もちろん、イタリア語なのでわからんが。それが終わると、「アーーー」と一声歌った。そして、そのおねえさんが口を閉じた後でも音はかなりの時間響き続けた!なんて音響がいいんだ!建物が石造りであること、それから建物の構造も関係しているのだろう。まるで誰かがお姉さんの声を引き継いで歌っているかのようでもあった。

 おねえさん、ちょっと説明してから、また歌いだした。「アーーー。」音階はC(ド・多分)。間をおかずに「アーーー」E(ミ)。つづいて「アーーー」G(ソ)。するとすると。始めの音が消えないので見事にドミソの和音!洗礼堂の内部の神聖な雰囲気ともあいまってめちゃめちゃ綺麗!その為にいるんじゃないか、ってぐらいおねちゃんの声もきれいだったしね。

 つづいて大聖堂の北にある墓地へ。墓地といっても昔の貴族やなんかを祭った神殿みたいな感じかな。しんとして厳か。写真を撮ったらお姉ちゃんに怒られた。そりゃあそうだ。死者への冒涜になるもんね。反省。

 Pisaを出発し、次の目的地チンクエ・テッレ(5つの村、という意味)へ。行く途中のLa Speziaで途中下車。ガイドブックで見つけたトラットリアを探したが、定休日。適当には行ったらレンジでチンで激マズのスパゲッティを食べる破目に。口直しに食べたドーナッツとフォッカチオの方が100倍うまかった。

 さて、切符でも買うか、ということで財布の中で小銭をジャラジャラさせていたら後ろから少し痩せ気味のおじさんに声をかけられた。片手には酒瓶を持ち、反対の手には小銭を持ち、何かを言っている。ちょっと目が怖いな。でも雰囲気でお金を両替して欲しいのかな、と思った(←我ながら、んなわけあるかい)。「Change?」と聞いたら首を縦に振ったので、1ユーロを渡した。そして小銭をもらおうとしたが、男は小銭を渡そうとする様子は無い。はぁあ?

 「Back!」このぐらいの英語はわかるだろう!返せ!それでもお金を返そうとしないので、最終普段へ。戸惑うオヤジをにらめ付け、その手を強引に開き、1ユーロを奪い取り、俺がこの時マスターしている単語の一つを食らわしてやった。

 「Via via!」(あっちへゆけ!)

 男はそれでも話しかけてきたが、無視。不愉快だ。切符を買い、列車に乗り込んだ。やれやれ。ただの物乞いだったとは。ちょっと危なかったかな。

 出発の遅れた鉄道はトンネルばかりの線路を抜け、5分ほどでチンクエ・テッレのManarolaへ到着。坂道を500mほど上ってたどり着いたユースホステルは清潔感のある新しい建物。アメリカ人2人と少し会話。英語の理解度は50%。5分制限のシャワーを浴び、ほっと一息。日記の最後は「長い1日だった。ふぅ。」

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3日目-祭り1発目

 8時にホテルを出発。飲み残しの酒やら何やらで荷物が重いの何の。これでは機動力半減なので今日泊まるホテルへ。少し探してうろうろしたが、なんと昨日Giostraのチケット売り場の2階だった。

 ホテルのおじさんとおばさんは英語が話せないイタリアっ子。APT(観光協会)でもらった予約の紙を紛失してしまった所為でコミュニケーションに苦労した。APTではbedのある部屋が31€で、bed無しの部屋(どんな部屋だ?)が31€だと聞いていたのだが、これは「bed」と「bath」を聞き違えていたらしい。部屋の外に共有のお風呂場があることを確認したので、21€部屋へ。

 日記には「おそらく宗教関係の建物を改装したもので」、と書いてある。旧市街という名のとおり建物は石造り、中庭があり、その周りを渡り廊下が囲んでいる。廊下の幅は狭くて1mもない位だが、天井が高い。

 洗濯物を干し、荷物を整えて出発。今日もいい天気だ。大聖堂をのぞいたりしながら、昨日いけなかったアンティーク市をまわった。風見鶏やら馬のドアノッカーやら、実家の建物につけたら面白そうなものを見つけたが、さすがに3日目からヘビーなお土産を抱えて歩き回りたくは無いので涙をのんであきらめた。お昼ごはんはしょっぱめのカルボナーラと具沢山クロスティーニ。

 途中の教会でGiostraに出場する黄色と緑のユニホームを着たチームが神父さんから祝福を受けていた。雰囲気でてるー。アンティーク市をぶらぶらし、ヨーグルトジェラートを食べたりしながらすごし、16時ごろにお祭りの本番会場の広場へ。

 このお祭り、どうやら街の中の地区ごとに争っているらしい。立見席は4つに別れ、地元の人たちが(中学から高校ぐらいの年代が多い)それぞれデザインの違う旗やらアクセサリーを片手に互いに野次ったり応援したりしていた。そんな感じなので立見席ははっきり言って見にくい。もうちょっと出してちゃんとした席に行けばよかったかも。

 1時間ほどしてお祭り開始。昨日もみたが、前座では色とりどりのユニホームとFlagがはためく。つづいて大会主催者っぽい神父、騎士、楽隊、地区ごとの神父、騎士(選手)がマーチとともに入場。会場はHeat up!一部馬がビビッてたり。

2004Arezzo Giostra▲Giostraのパンフレット表紙より「ナイト」

 そしてお祭りのメインのGiostra開始。1人目は赤と緑の服を着たナイト。標的であるサラセン人形とは広場をはさんだ反対側で、長さ3mほどもあろうかという馬上槍を受け取り、構える。神父らしきおじさんが錫(メイス)をふりおろす合図で、馬が走り出す。猛烈なダッシュで広場を40mほど駆け抜け、サラセン人形の持つ点数版をランスで貫いた!

 しかし、なんとランスを落としてしまった!なんたる失態!赤緑のチームは嘆きまくり。当然点数は無しだ。続いて緑白、紫黄、青黄のチームが競技を行い、点数はそれぞれ3、3、4点。揺れる馬体の上で3mもある鋼鉄でできた槍をコントロールし、40km/h近いスピード(?)でその先端で点数版を打ち抜かなければいけない。難しいんだろうなあ。とりあえず一歩リードの青と黄色のチームはテンション上がりまくり。

 2回目の試技では、緊張がほぐれてきたのか4点満点が連続。そして、最後の青黄の騎士が4点をはじき出した途端、青黄チームが全員場内乱入。紙ふぶきの舞う中、優勝の証である黄金の馬上槍を掲げ、皆で喜んでいた。おめでとう!

 興奮冷めやら無い中、夕ご飯へ。途中で直径1mはあろうかというピザの置いてあった店をスルーしたが、結局いいところが無かったのでこの店に入った。ピッツァ・カプリチョーザとワインを注文した。

 この時、ウェイターのお兄さんは英語が通じなかったのだが、頑張ってイタリア語を引っ張り出して、ジェスチャーも使いつつ、ワインをグラスで1つくださいと頼んでみた。お兄さんは?な顔をしていたので怪しいなあと思っていた。少ししてグラスとワインボトルを持ってお兄さん登場。ついでくれるらしい。コルクを抜き、グラスにスパークリングワインを注ぎ、

 テーブルにワインボトルを置き、お兄さんはキッチンへと去っていった・・・

 は・・・?あ、あのぉ、ワタクシあまりお酒に強くないのですが?

 まあ、気を取り直そう。今日は面白かったから飲んでもよし。栓は開けられてしまったのだから戻してくれというのも悪いし。ワイン1本何のそのだ!うい~。

 おかげでピザの味のことは何にも覚えていない。とりあえず1mではなく40cmぐらいだった。お店の人が気を使って小さくしてくれたのだろうか?メニューの値段より安かったし。それにしても、ワインをボトル一本たのんで真っ赤になりながら1時間半も粘る日本人。アホや・・・。お店の方々すみませんです。

 途中で適当にクロスティーニをたのんだら、赤い具がのったものが出てきた。トマトかな、と思って食べたら激辛!とうがらしかよっ!口が痛いわ、ワインは多すぎるわ。美味しかったけどね。

 ホテルの門限23時ギリギリに到着。おじさんはなぜか上機嫌。こちらはほろ酔い。お休み~。


 ちなみに後でわかったことだが、レストランで注文したとき、イタリア語のグラス「bicchiere」と切符「biglietto」を間違えてしゃべっていたらしい。すなわち俺は「一杯のワインをください」と言っているつもりだったのが、「1切符のワインをください」と言っていたということだ。そりゃあお兄さん「?」だわ。

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2日目。Arezzoへ。

 昨日と同じような朝食を食べ、チェックアウト。今日は「第1のお祭りの街」Arezzoへ。

 電車に乗るのももちろん初めてだ。何もかも日本とは違う。まず切符は8×16cmで大型。改札は無く、切符を買ったら(買わなくてもいい?)そのまま列車に乗り込む。ホームが低くてステップを登らないと電車に乗り込めない。そして切符のチェックは車掌が走行中の車内で行う。ここまではまあ、よかったのだが。車内のアナウンスが全く無い。次がどこなのかは自分の目でチェックするしかない。もしくは時刻表をアテにして時間の目処で予想するしかない。日本は親切だなあ。この日の車内では日記を書くのに没頭。ローマを出発するとすぐに窓の外は田舎の景色になった。首都とはいえ、TOKYOとは大違い。

 12時少し前にArezzoに到着。まずはお祭りのチケットを確保しに「チケット通り」のチケット売り場へ。一番安い立ち見の席を購入。節約節約。その途中でなにやらマーチが聞こえてきた。なんだろう、と思って音の方に向かうと、10人ほどのヨーロピアンな格好をした人たちがパレードをしていた。雰囲気出てるなぁ。お祭りのイベントの一環なのだろう。

 駅前に戻り、APT(インフォメーション)でホテルを予約しようとしたら、「シエスタ」。おっとっと。

 お祭りと一緒に開かれていたアンティーク市やら大聖堂やら観光地をぶらぶらと歩く。昼飯はサンドイッチとサラミパン。自分は食べられない物は少ない(昔チーズケーキとステーキが嫌いだったが、それはまた別の話)が、その日、ある食べ物に出会った。流れる水にさらされた清涼感のある白い果肉。黒っぽい果皮がさわやかさを支える。少し気温が暑いという事もあり、その涼やかさに引かれ、1片購入。

 どんな味なのだろう?いただきまーす。・・・?なんだこれ?味がしないぞ。なんか食感がぱさぱさ。なのに脂っぽい。ってか全然甘くないし。フルーツじゃないの?あんま美味しくない、

 ってか正直言っていいですか?超まずいっ!

 お百姓さんの心を大事にする俺は基本的には食べ物を残すなんてのは御法度だと思っている。しかし・・・物事には限界というものがえてして存在し、このまずさは限界を超えていたらしい。半分ほどかじったところでギブアップ。これは・・・無理だ。今考えると、多分あれはココナッツだったと思うが、今となっては確かめることはできない。

2004ArezzoのATPのおねえさん▲ATPのおねえさん。絵がイマイチ。本物はもっとかなり美人さんでした。

 駅前に戻り、APTでホテルの予約。受付は30くらいのメガネのおねえさん。英語だったのでコミュニケーションとれとれ。できるだけ安く済ませたい、という要望を言ったら1日目と2日目で違うホテルを探し、予約してくれた。めっちゃ親切で話しやすかった!大感謝!


 まだ時間があったので市街地へ戻り、旧市街とよばれる辺りをぐるぐる。明日の祭りの会場を下見していたら旗持ち隊が練習をしていた。1m四方ほどの旗に少し太めで長さが1m50cmぐらいのポールがついた旗。ただ持つだけじゃない。マーチにあわせて、20人ほどの若者がバッサバサと一糸乱れぬ(とまではいかないが)動きで舞う。ダイナミックに頭の上で回したり、両手に2本の旗を持って広場を走ったり。

 その中でも一番かっこよかったのが、旗を思いっきり空中に投げる技。布の部分をポールにクルクルっと巻きつけ、棒状になった旗を足の下から頭上に振り上げる。8mほど舞い上がった旗はだんだん開きながらまた落ちてくる。それを空中キャッチし、そのままの動きで旗をバサッと振り上げる。かっこいいー!それを一人でやったり、2人で互いに投げ合って旗を交換するとか。飽きないねえ。

 この「旗の舞」。実はこれ、Arezzo以降どのお祭りでも見ることになる。儀式的にいったら日本で言う巫女さんの舞ってところかな?内容としては神事というよりも競技をする騎士を励ますとか、そんな所だと思うけどね。

 ホテルに向かう途中でスーパーによって夜ご飯とお酒など買い物をしたのだが、苦労したのが精肉コーナー。ハムを買おうとしたのだが、良くシステムがわからない。適当におばさんにお願いします、と頼んだら何かを指差して何か言っている。よくわからん。?な俺を見ておばさんもまあ、しょうがないわね、といった感じ。10枚スライスでお願いします、見たいなことをジェスチャーとイタリア語で言ってみたが、今度はおばさん首をかしげる。それでもスライサーでハムを適当に(10枚ではなかった)切り、これでいい?と聞かれたので、これでOKとした。

 ハムを買い終わった時にカウンターの上においてある整理券発券機が目に付いた。なるほど、おばさんはこのことを言っていたのか。でも目の前なのに気付かないとは・・・。周りが見えてなかったらしい。それから、これも後ほどわかったことだが、精肉コーナーでは一般にグラム数で注文するようだ。そりゃあ「何いってんだ、この外国人は」って顔するよな。失礼しました~。

 ホテルに到着し、テレビを見ながらお酒タイム。リモンチェッロというレモンの黄色いお酒を飲んだのだが、見た目ちょっと甘そうなのに、辛口。しかも結構強い。4分の1ほどしか飲むことができなかった。荷物が重くなった。そんな感じで夜は更けていった。

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2日目。はやトラブル。

 6時起床。よし、今日から観光開始や!気合をいれてご飯をがっついた。コーンフレークとパンと真っ赤なグレープフルーツジュースを腹に入れて部屋に戻った。荷物を全部かついで歩き回るつもりは無かったので荷物整理をした。

 そして、バックパックの下部サイドポケットから出てきたのはくしゃくしゃになった白い封筒。空っぽの。

 心拍急上昇。アドレナリン大放出。一気に血の気が引いた。

 入れておいた、3万円は?

 どうして、どうして、どうして?
 だってポケットには鍵がかかっていたじゃないか、そんなはずは無いそんなはずは無い。
 カバンが切り裂かれているわけじゃない。どうして?
 俺は開けてない、開けていないはずなのに?


 ・・・・・・あ。

 違うポケットから出てきた「予備の鍵セット」。そう、予備の3万円をカバンに入れ、錠をかけたのはよかった。しかし、その南京錠を開ける鍵がすぐ横のポケットに入っていたのだ。な、何てことだ・・・。鍵がなくすのを警戒し、良かれと思ってカバンの方にもスペアの鍵を入れておいたのに。

 迂闊だ。  ってかアホだろ。

 魂が抜けていきそうだったが、考えた。多分空港で荷物を預け、ローマで受け取るまでにやられたのだろう。(昨晩から今朝の間にユースホステルで取られた可能性もあったが、この時は考え付かなかった。ちなみにユースホステルは基本的にドミトリー形式=相部屋。)

 しかし、いつまでも悩んでいても仕方が無い。忘れよう。さらば3万円。持ち前の能天気さで記憶の彼方へしまいこみ、ローマの街に出かけることにした。天気は晴れ。観光日和だ。

 駅で時刻表を買ってから歩き始めた。当然だが、やはり街並みが違う。基本的に石造り、そしてデカイ。3階建てが基本。一つ目の観光地はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へ。といっても良く覚えていないので日記の表現をかりると、「とにかくデカイ!絵が(何が描いてるかはわからん)スゴイ!やっぱ芸術はよくわからん。」・・・なんて幼稚な表現なんだ。どうなってんだ4年前の俺よ。

2004スペイン階段▲スペイン階段。定番でしょ。

 トラベラーズチェックを両替ついでにスペイン階段へ。それにしても暑い。30度越えているんじゃないか?しかし本州の夏の夏のようなじっとりとした肌にまとわり付くような感覚ではなく、直射日光がガンガン照りつける南国系暑さ。喉が渇く。ミネラルウォーターを買ったが、すぐに無くなってしまった。

 この調子で行くとミネラルウォーター代だけで馬鹿にならないぞ。ガイドブックには腹を壊す可能性があるから生水は飲むな、とあった。が、俺なら大丈夫(←根拠なし)だろう。たとえ腹を壊したとしても、次からは耐性が付くから生水を飲んでも腹を壊さなくなる(←ほんとか?)。よし、飲んでしまえ。

 というわけで「噴水みたいな所」で水を汲んで飲んだ。味も普通。問題なし!この後も蛇口を見つけては水を飲んでいたが、結局旅行中おなかを壊すことは無かった。この日は本当に暑く、2リットルも水を飲んでしまった。

 街中にある何とかいう将軍の記念堂へ。中身はたいした印象が無かったが、ここに入る前に軽微の人に「肩掛けカバンは前にかけてないとスられるよ」と注意してくれた(イタリア語はよくわからんかったが、身振りとかで)。やっぱスリがいる、ってことか。今朝のこともあるし、気を抜けないな。そう、思わされた。

 ローマの街中にある遺跡、フォロ・ロマーノへ。街のど真ん中なのに遺跡。神話に出てくるような彫刻をした柱、建物、壁、門などみてぶらぶら。観光客が多い。これでもオフシーズンなのに。遺跡を抜けてたどり着いたのはコロッセオ。有名な円形闘技場だ。やっぱでかいなー。でも人が並んでいたし、入場料が高めだったのでパス。コロッセオの絵を描いて終了(鉛筆がやわらかすぎて絵がかすれてしまった)。

 次に行ったのも遺跡。パラティーノの丘。フォロ・ロマーノと比べると遺跡、といった感じではなく、古代の大きな庭、という感じ。でも人も少なく、くつろげる木陰もあり、のんびりと歩くことができて3時間もぶらぶらしてしまった。なかでもすごかったのが地下競技場(闘技場?)で、深さ20mほどの吹き抜けの地下で、40m×120mほどの広さ。所々に装飾的な石の柱が立ち、今にも剣闘士が入場してきそうな雰囲気。コロッセオはもっとすごいのかな?

 夜ご飯はテヴェレ川をこえ、ローマの下町で食べることにした。ガイドブックによると、駅周辺よりもこの辺の方が安くてうまいとのこと。目当ての店の開店19時まで時間があったので、「店員さんが笑顔が嬉しくなるような25くらいの女の人」なジェラート屋でストロベリーのマーブルを頼んだ。最後に何か聞かれたが、初日でわかるはずが無い。クエスチョンマークを連発していたら、まあいいわ、と笑ってくれた。今思うとトッピングか何かを聞いていたんだと思う。多分。まあ、どかっと盛り付けてくれたので大満足。

 19時にPizzeria san calistoへ。目当ては直径40cmはあろうかというピザ(イタリア語ではピッツァ)。頼んだのはオーソドックスなマルゲリータ(トマトソースとチーズのみ)4.2€。想像していたのより生地が薄い(後で聞いたところ、ローマ以北は薄いピザ、ローマより南はパンみたいな厚い生地が使われているんだそうだ)。といっても直径40cm。さすがにおなか一杯。少ししょっぱかったな。チップは置き忘れてしまった。はじめての外食in外国で失念してたわ。

 そろそろ暗くなってき始めたのでまっすぐにユースホステルに帰宅。インターネットで日本に到着メールを送り、シャワーを浴びて就寝。

 あまり思い出したくないが、昼飯のときの話。サンドイッチの値段を聞いたら2€60セントといわれたので3€払ったのだが、お釣りが返ってこない。もう一度「Quanto costa?(おい、これいくらだよ?こら。)」と聞いたら、40セントのお釣りが返ってきた。観光客なめられてるな。この日の日記の最後の言葉は、「危ね。」

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1日目。出発。

 5時半起床。睡眠不足で飛行機に乗って、飛行機の退屈な時間を寝て過ごす作戦だ。6時に出発し、ヤケに遠いぞ成田空港へ8時20分到着。眠らない街TOKYOも朝は少し空いている。

 バックパックを預ける時に
「この中に貴重品や壊れ物は入っていませんね!」
と聞かれた。

 バックの底のサイドポケットに予備の3万円が入っていた。これは緊急時に無一文を回避する為にお金の在り処を分散させていたのだ。しかも小さいとはいえ、南京錠がついている。開けられることは無い。

 
「はい、大丈夫です。」
と、俺は答えた。そして、そのまま荷物を預けた。そう、そのまま・・・。やれやれ。

 この日乗るのはロシアの航空会社「エアロフロート」。本当ならばアジア系の方が若干安いのだが、航空券をとるのが遅くなった所為で、これになってしまった。後で聞いたところ、「最も落ちる確立の高い航空会社」だったとか。知らぬが仏。時刻の遅いチェックインにあわてながら成田空港をうろうろ。羽田空港とは違って外人向け施設ってな印象をうけた。どこがどうとは言えないが。

 飛行機に乗り込む辺りで気がついた。乗りかえってどうすればいいんだ?そもそも「乗換」って英語でなんていうんだ?それすらわからん。知識を総動員して頭ん中を検索するが、該当項目はゼロ。あれー?どうすんべ。

 しかし、眠かったのでとりあえず寝た。途中で大柄なロシアのスチュワーデスにモスクワがどうとか聞かれたり、メシはチキンとポークどっちがいいとか聞かれたが適当に答えておいた。英語のロシアなまりは濁音が混ざっていて聞きづらい。日記には「スゲー緊張した」、とある。すげえがカタカナになっている辺りが若いな。まあ、緊張したのは周りに頼るものが無い状態で話さなきゃいけない状況に始めてなったわけだし、しょうがない。

 モスクワ空港に地価ずくにつれて乗換について不安がどんどん高まってきた。迷っていてもどうにもならないので意を決して(?)隣に座っていた60ぐらいのおじさんにどうすれば言いかを聞いてみた。とりあえずトランジットと書いた看板に沿って進めばOKだそうだ。このおじさん旅慣れしているらしく、オーストラリアを車で一周の旅をした事があり、次は日本最長一筆書きby鉄道の旅を計画しているのだとか。

 ちなみに機内食が2回でたのだが、刺身とグリーンピースが和えてあったり、ナルトが変なところに混ざっていたりと、和風と洋風が混ざっていた。ロシアの感性ってやつか?ケーキが超甘かった。

 現地時間18時ごろにロシアのモスクワの空港に到着。小さい。北海道の旭川空港をひとまわりだけ大きくした感じ。ホントにこれ国際空港かよ。初めて外国の地に降り立ったわけだが、何もかも灰色だ。9月という季節の所為もあったのだろうか、なんとなく景色全体がかすんでいる感じだ。見るからに寒そうな感じ。

 「transit」と書いた黄色い看板はすぐに見つかった。それをたどって進んでいったが、ゲート前は人だらけ。乗換に時間は少ない。大丈夫か。いや、大丈夫じゃあない。この後ろに並んだら出発の20時には確実に間に合わない。やばい・・・。

 しかし、気付いたら、ゲートのところにいたロシアのおばちゃんが何か言っている。

 「トルーキョ、ルォーミャ。トルーキョ、ルォーミャ」

 は?なんのこっちゃ?少し考えたが、トルーキョ→東京、ルォーミャ→ローマっぽいぞ。要するに俺のことだ!群集をかき分け、追い越し、おばちゃんのとこへ到着。見事チケットゲット!ロシア訛りはどうにかしてくれよ。適当なチェックを受けて、2つ目の飛行機へ。6席×25列程度の小さな機体。こんなんでローマまで行けんのか?ってかこれローマ行きであってるよな?日本のような至れり尽くせりのようはサービスが無い所為か不安が尽きない。

 「これローマ行きですよね?」
と、いう質問から始まり、右隣に座っていた女の子と話した。建築学が好きな明治大学4年生。ローマから北上して北欧まで行くとか。日記によると、「緑色の腹、メガネ、まあまあかわいい、マニキュアが毒々しい。」

 橙色の光を放つローマの空港に到着。もうすぐ深夜という時間帯。倉庫みたいな見た目の空港はがらんとして音がよく響く。荷物を受け取り、レオナルド・エクスプレスというえらそうな名前の普通の電車に乗って30分かけてローマ市外へ。23時ごろ着。暗い。しかもユースホステルの場所は少し下町チック。人通りも少なくて危ないんじゃないか?ちょっと(いや、かなり)びびりながらも、どうにか大きな建物の入口のひとつにユースホステルの名前を発見。受付のおじさんが強面だったが、チェックイン完了。シャワーを浴び、少し日記をつけ、就寝。長い1日だった(時間的に)。

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出発1日前

 午前中はのんびりと。オリンピックのカヌーとボートを見る。使いそうなイタリア語を紙に書き出す作業。12時に藤沢を出発。新宿でトラベラーズチェックで900€分変換。大金もってドッキドキ。といっても自分のサインがないとただの紙切れだから盗まれる可能性はないんだけれどね。

 使い捨てカメラ2台を購入し、目黒の親戚の家へ。荷物整理。

 最後に携帯電話の留守電サービスを設定。日記には、この作業をしている時に、「日本を離れるということが現実味をおびてきた。もう明日のこの時間には下手したらローマの空港だ。我ながら信じられん。」

 その後に「準備はほぼ完ペキ、どれだけ銭を持っていけばいいのかわからないぐらいか」、とある。確かに行く場所はほぼ調べきってあったし、宿泊場所の予約も85%設定済み。不安があるとしたらお金が足りない可能性ぐらいかな。いやいや、そんなに甘くは無かったのだけれどね。26時就寝。

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2004年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年10月

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